puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

2015-01-01から1年間の記事一覧

出会った人々(9)

4年間、この公営住宅に住んだ。彼女と私の家は、同じ棟で住宅の端にあって、玄関は一軒をはさんで並んでいた。前の棟の住民から、この棟の住民の出入りは、全く見えない。 私は彼女の家だけでなく一軒のお宅しか上がった事はなかった。 玄関ですむ用事の時し…

出会った人々(8)

T夫人が婚期を迎えられた時、母親がいないと都合の悪い事もあろうかとお父様が再婚をされる。 その後、T夫人の実家に某大学のグループが泊まった事があって、その中に現在のご主人が居られた。 T夫人より年下ではあったが、両親は亡くなっていて、結婚されて…

出会った人々(7)

昨日、お医者の帰り八百屋の前を通りかかって見ると『葉わさび』の新鮮なのが出ていて、しかもお値段お手頃、2把買う。 一年ぶりの『葉わさび醤油漬け』、気分もルンルン気合いが入る。 洗って適当の長さに切って???、、、、作り方を思い出せない。早速,…

出会った人々(6)

借家は、自分の財布の中身と相談して決めるので多少自分の希望が入れられる。公営住宅は,目的があって提供されるので,個人的な希望は皆無に等しい。その代わり当時、一般家庭では五右衛門風呂を薪で沸かし、トイレは汲取だったのが、公営住宅は、キッチン…

出会った人々(5)& 雑感

この最近、お便りを頂く様になりました。今の私に、お便りを頂く事は、本当に嬉しい事です。 特に、私より若い人からのお便りは、外出もままならぬ私にとって外の空気に触れると同じくらい新鮮で活力になり、誠にありがとうございます。 日によって体調が違…

出会った人々(4)

『馬には乗ってみよ、人には添うてみよ』 Y夫人は60歳過ぎたばかりだったと思う。会うといつも思う、この年代の人は素顔がきれい。健康な肌をしている。聞いた事がある、『どうしてそんなに肌がきれいで、しみがないのですか?』。 『若い時から、お化粧をし…

出会った人々(3)

公営住宅に住み始めたのは昭和42年=1967年の秋、だから随分古い話になる。 当時の生活と今の生活とは、雲泥の差がある。便利な生活を知ってしまったので、もう戻りたくない。 当時、自転車、洗濯機は貸したり、借りたりが結構あったが,今は一家に人数分、…

出会った人々(2)

寒さが厳しかった頃は用心をして、起床時と寝る時に『絶対に風邪をひいてはいけない』と自分に よくよく言い聞かせる。年々回復力が衰えて、風邪でもひいたら寝込む日数も増えるし、余病が出そうで怖い。(本音は鏡を見るのが、もっと怖い。こんなに歳をとら…

出会った人々(1)

半世紀以上生きて来たので、いろんな出会いがあったと思う 周りの人たちに助けられて今の私がある。 なのに、改めて思い出そうとすると、何たる事!。 忘れてしまったのか、意外に少ない。 Oさん、後にも先にもこんな上等な人に会った事がない。 同級生だっ…

お金の話(34)

物忘れも酷くなる一方なのに、予定も約束も出来ない様な年に成って、ようやく、人様の事で理解出来たり、共感出来る様になった。余りにも遅過ぎた、迷惑もかけ放題、何ともお粗末な事ばかりだったので恥ずかしいと言うより呆れる、だからやっぱり忘れよう、…

お金の話(33)

『覆水盆に返らず』。 特に、今の時代に正規雇用で働いている人が退職、転職を考えるとは、よくよくの事情があると思う ので 私は、止めない。拙い経験でお役に立てればと思って、口幅ったい気がするが、あえて、、、。 仕事を辞める事は、いつでも出来る。 …

お金の話(32)

数十年前の話なので今の時代に当てはまるとは、とても思えないが、、、。 日本が戦争に負けて、一部(どんな環境、社会、時代になっても、富裕な人たちは居る)を除いて、殆どの人々は家族、財産、仕事、、、を失って、裸同然の貧乏になってしまった。 残っ…

お金の話(31))

昭和39年=1964年~平成27年=2015年 私は今年76歳になる予定だ、この歳になると何が起こってもおかしくないので、全て予定になる。 とにかく物忘れが酷くなった。一番酷いのは、電話中とか、普通に話している間に、一瞬回線が切れた様に何を話していたのか…

お金の話(30)

平成元年=1989年~平成16年=2004年 台風が通り過ぎた朝、セメント瓦が飛んだので、棟に被せてあったステンレスの鋼板を拾い集めた。 セメント瓦は重ねた部分が短過ぎたのか、瓦一枚の重さが軽いのか、風に飛ばされて所どころ残って いた。野地板がベニアだ…

お金の話(29)

平成元年=1989年~ 平成16年=2004年 毎日、毎日が忙しかった。なりふり構っている暇も余裕もなかった。二つも仕事を持てば当たり前だ。ちょっとでも気を緩めると生活は破産だ。だけど働く事が嬉しくて、辛いとか、苦しいとか思わなかった。 私は仕事をする…

お金の話(28)

昭和53年=1978年~平成16年=2004年 お金については『石橋を叩いて渡る』どころか、渡らなかった私が、バキュ-ムカーの件で銀行の融資を受けた。初めはトイレだけのリフオームのつもりが、隣地が突然売りに出された。 私が住んでいる家は、一帯で昭和に入…

お金の話(27)

昭和52年=1977年~昭和54年=1979年 働き始めても暮らしは、一向に改善されず、困窮を極めていて、全て食費にしわ寄せが、いっていた。 だが、働き始めて自分が良い方向に変わりつつある事、気持ちが軽くなっていくのが自分でもわかった。 十年余りの困窮生…

お金の話(26)

昭和50年=1975年~昭和51年=1976年 何かの雑誌か、テレビかで、リフオームはアフターケアの事を考えて、近くの工務店が良いとあった様な、なかった様なうろ覚えで工務店に電話する。現場を見てからの見積もりとなる、日中は、現場で仕事中で夜にならないと…

お金の話(25)

昭和49年=1974年 お金のない生活は相変わらず困窮を極めていたが、働く事で気分転換になった。 使い走りの仕事の往復の途中に高級の鞄、靴の老舗の専門店があって、黒い鞄がショウウインドウに飾ってあった。毎日立ち止まって良いな、良いなと眺めながら値…

お金の話(24)

昭和48年=1973年 『帯に短し、襷に長し』で、知人の奥様の貸家探しが難航した。仕事上、勤務が交代制であるので、先ず三人のお嬢さん達の安全を第一に考えると防犯がしっかりしてある物件、常に人の目がある事、学校と病院に近い事、この三つの条件は世話す…

お金の話(23)

昭和47年=1972年~昭和48年=1973年 カラーテレビをとおして見たり聞いたりだけの私の中で、少しずつ意識が変っていった。 現在の食生活で、『麦飯、めざし、味噌汁、季節の香の物』はヘルシーの代表的な食事だ。 振り返ると、昭和25年=1950年12月、当時の…

お金の話(22)

昭和45年=1970年~昭和46年=1971年 天気の良い日は、ベランダから遥か遠くまで田畑が広がって、所々に人影が、また乳牛が草を食んでいるのが見える。 盆地だから霞んで山々が連なっているのが見渡せる。 眺めていると気持ちが洗われる。 何も起らねば、風…

お金の話(21)

昭和46年=1971年~ 早春、とうとう白黒テレビが壊れてしまった。 当時100,000円を超えていたが、3月半ばソニーのカラーテレビを買った。3000円の月賦だった。 家賃とカラーテレビの月賦が同じで、これからの負担を随分考えたが、今更、白黒テレビでもある…

お金の話(20)

昭和45年=1970年~ 新しいのと言うか、未知のと言うかコミニュテイーの皆様にお世話になる事に、転校生の気分だ。 とにかく荷物を運び込む前に挨拶まわりをする。極度の緊張で奥様方の顔の印象は全くない、会わなかったと同じ。当日必要な荷を解きかかると…

お金の話(19)

昭和45年=1970年~ 以前の公営住宅は半農半漁の町外れにあったが、次の公営住宅は農地に囲まれた中にあった。 平野で周りには専業農家が多かった、三ちゃん農業も可能な地域だった。 バス路線は近くにあるが、通勤、通学のための時刻表で、あくまで利用者数…

お金の話(18)

昭和43年=1968年 『貧者は昨日のために今日働く、富者は明日のために今日働く』 二宮尊徳 春になって暖かくなったので、移転先の公営住宅に帰って来た。 一棟に五軒あって合計三棟、十五軒の小さなコミュニティで、単身、子育て真っ最中、共働き、子供が自…

お金の話(17)

昭和42年=1967年 2回目の手術には、まだ半年あった。手術後は、『日が薬』と言われるが本当にそうだ、日毎に快方に向かっていくのを実感する。 一回目の時、同じ病院で同じ日に私と同じ手術を受けた人がいて、尿管がねじった状態だったのを気が付かずお腹…

お金の話(16)

昭和42年=1967年 一回目の手術は順調に回復した。春暖かくなるのを待って、また借家に戻って来た。 留守の間に引っ越しは済んでいた。確かに健康には良さそうだ。陽当たりが良く部屋は明るかった。 一戸建てで、築年数も余り経っていない様で、どうして借家…

お金の話(15)

昭和41年=1966年 陽射しが柔らかく春めいてくると、身体が軽くなって理由もなく家から出かけたくなる。 借家は外観に資金を費やしたと思われる日本家屋で、屋根は和瓦屋根で、玄関はそれなりに、道路に面した部屋は格子がはまっている。周りはレンガの塀で…

お金の話(14)

昭和40代=1965年代に入ってから、半農半漁で人口の少ない町にもメートル法の完全実施とスーパーの進出を境に、暮らしは近代化? へ変化しつつあった。 食生活は『米穀通帳』の時代を脱して、卵、牛乳、油、牛肉、豚肉、鶏肉、マーガリン、バター、 ソース、…