puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(17)



昭和42年=1967年
2回目の手術には、まだ半年あった。手術後は、『日が薬』と言われるが本当にそうだ、日毎に快方に向かっていくのを実感する。
一回目の時、同じ病院で同じ日に私と同じ手術を受けた人がいて、尿管がねじった状態だったのを気が付かずお腹を閉じられて三日間、大学病院から先生が来てまで大騒動だったらしい。
結果再開腹で、その後経過は良好と聞いた。
三日間私は私で、病床で余りの痛さに筋肉の繊維の流れを横に切断されたのではないかと、勝手に妄想して疑心暗鬼に取り付かれていた。実際は胴を真横に切られて痛くて起き上がれなくて、、、、。
当分の間、ぐずぐず症状は一進一退、はかばかしくなかったが、治り始めると外科系は早い。
お腹を開けると用心が要る。外見上、傷口はすぐ治る。お腹の中は、外から見れないので、勘違してしまう。お腹の中は、しっかり治るまで時間がかかるが、初めての手術で私は勘違いをした。
『急いては事を仕損じる』は、病気にも言えると思う。


予備校は夏期講習が始まっていて、両親から頼まれて弟の陣中見舞いに京都に出かける。
せっかく京都に出かけるのに何の心構えもなかった、今なら情報を集めて京都を楽しむかも。授業が終わるのは五時過ぎると言うので、街に出る。今は全く違っていると思うが賑やかな通りを一本裏に回ると、唯の田舎だ、がっかり。
仕方ないのでまた違う通りにでると、ありました、映画館!『ドクトル、ジバコ』上映中。やれ嬉しや。映画には時間が早過ぎると思ったが、入館出来ると言うので入って待つ事に、後方の暗がりに男性一人。しばらくして、人が入った様子もないのにようやく」『ドクトル、ジバコ』が始まった。


突然の再会、胸はドッキン、ドッキン、まさか、あのオーマン、シャリフ、、、忘れもしない恐ろしいと思う位、真っすぐこちらの心の中を見てしまう様な彼の目力!。
彼に初めて会ったのは『アラビアのフローレンス』だった。
荒涼とした砂漠が何処までも続く地平線の向こうから、らくだに乗った黒い衣装を着た人影が蜃気楼のかかっている中をユラユラゆっくりやって来るのを見ていると(実際はらくだが早かった)、忽然と目の前に彼は現れた。
『彼は何者?敵か?味方か?』(私は主人公のフローレンスになっていたので、)と思った瞬間、
彼(オーマン、シャリフ)の目力と対峙する事になったのだ。彼から強烈な印象をうけた。


『アラビアのフローレンス』の主演はピーター、オトウール。
ピーター、オトウールの顔は思い出せない、映画を見てて主演の顔を思い出せない事等殆どないのに。
ピーター、オトウールの金髪にすっかり魅せられてしまったのだ。
風になびく金髪、かきあげられる金髪、民族衣装の頭巾からこぼれ出る金髪、、、金髪に始まって金髪に終わって、主演のピーター、オトウールの顔はとうとう記憶がない。素晴らしく美しい見事な金髪だった。
共演している『道』のアンソニイ、クイン、、、。


『ドクトル、ジバコ』は洋画をみる最後の映画になった。
最後の邦画は黒沢明監督『影武者』(昭和55年=1980年)小学校4年生から始まった映画館通いが
いつの間にか終わった。


趣味の殆どない私にとって、映画は唯一の楽しみだったし、息抜きであったし、活力でもあった。
だから映画は徹底した娯楽であってほしいという願いがある。
『ドクトル、ジバコ』は願いのかなった映画の一つになった。何もかも揃っていた。大いに堪能した。
『ララのテーマ』のサウンド、パノラマ、スペクタルの大迫力&Love
恋愛ドラマ、ペーソスの効いた物語の映画化、想像力を刺激してくれるサスペンス、スリル(ホラー系のグロテスク、残虐などは絶対不可)、
音楽と躍動感あふれるダンス(ジーン、ケリーのダンスは出来過ぎて、、、)私は、挫折を繰り返しながら成長していく過程が好き、そして完成したダンスを見る、、、これぞ映画。
波瀾万丈な人生、時代の混乱に翻弄される老若男女の最後はハッピー、エンド。
山田洋次監督の『寅さんシリーズ』日常の生活の笑いと涙あり、風刺ドラマ、、、。


秋になって二回目の手術をして入院中、公営住宅(アパート)に空きが出て、留守中引っ越しをした。
家賃は、確かでないが2,500円だったと思う。

映画封切  500円