puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(18)



昭和43年=1968年
『貧者は昨日のために今日働く、富者は明日のために今日働く』 二宮尊徳
 
春になって暖かくなったので、移転先の公営住宅に帰って来た。
一棟に五軒あって合計三棟、十五軒の小さなコミュニティで、単身、子育て真っ最中、共働き、子供が自立して夫婦のみ等の世帯で構成されていた。中心になるのも、リードするのも子育て真っ最中の専業主婦達だった。 
公営住宅のある場所は町の中心から遠くて、バス路線から離れていたが、魚を売りに来るおばあさんもいたし、御用聞きが日、祭日を除いて毎日来てくれるのだ。クリーニング屋さんも。
この住宅で先ず御用聞きの便利さを知って感激した、牛蒡一本、トマト一個、肉類50g単位から、、、傘、つっかけ、化粧品、くすり、、、、頼べば扱ってない物まで調達して来る、簡単な用事なら引き受けてくれる、何でも可。不自由全くなし。


ただし、月末になると新聞代、NHK、電気その他の公共料金、米屋、酒屋、クリーニング屋、御用聞きの集金、、、が次々に、この小さなコミュニティに現れる。
翌月の初日には、すっかりお金がなくなって途方に暮れるが、2~3ヶ月したら馴れてしまった。
便利さに負けた。
ここでは住民の収入をはじめプライバシーはある様な、ない様な生活だった、気にしなければOK。
毎月1~20日までお金の事を全く考えなくて済んだ。
ただし現金がないので、臨時の病気(風邪を引く、お腹をこわす、、、)に細心の注意をして常に腹六分~八分、冠婚葬祭の報告がない様ひたすら祈り、突然の来客がない事(冷蔵庫はほとんど空状態)を願うのを忘れてはいけない。


20日過ぎると支払いを考えて、必ず胃がキリキリと痛む。
20日から払い終わるまでの生活が勝負だ。
どうにか払い終えると『喉元過ぎれば熱さを忘れる』、20日間ノウテンキに過ごす事が出来た。
幸か、不幸か、ここの住宅に住んでいる間、世の中の流れも物価の上昇も関わり無かった。
昭和45年=1970 年春、ここの住宅を退去する時、お金もなかったが、増えた物もなかった。
一生を振り返ると、ここの住宅で毎月1~20日20日間が一番安穏に暮らせた時期だと思う。