puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(19)



昭和45年=1970年~
以前の公営住宅は半農半漁の町外れにあったが、次の公営住宅は農地に囲まれた中にあった。
平野で周りには専業農家が多かった、三ちゃん農業も可能な地域だった。
バス路線は近くにあるが、通勤、通学のための時刻表で、あくまで利用者数が優先される。


2年近く、現金なしでご飯が食べられる極楽とんぼの暮しをして、また現金最優先の暮らしにもどった。
半農半漁の町では、やはり経済的に魚中心で6年間、牛肉、豚肉、鶏肉、ハム、ソーセージ、ベーコン等いっさい食べる事はなかったし、それが自然だった。
ところが、今回遠くにスーパーはあるにはあったが、行って見て必要最小限の必需品しか買えないと思って諦めた。
極楽とんぼで暮らして居た時より物価の上昇が半端でなかった。
おまけに消費者は少数で、生鮮食品は買ってくれるのに待ちくたびれた状態で、、、、。
以前、御用聞きの物価自体を私は把握してなかった、食材、総菜の残りを見て足すだけの暮らしで、月末の請求を思って食材しか、他は頼まなかった。毎日、毎日ご飯を食べるだけの生活をしていた。
使えるお金は昭和39年=1964年から変わっていないのだ。


一応実家は地方都市にあった、『ダイエー』が進出して来て帰った時は母と出かけた。家にこもった生活をして居たので、店頭、店内のデコレーションが眩しくて商品の品揃え、豊富さに驚いた。
まるで浦島太郎になった気分だ。
威勢の良い売り子の声、大勢の人だかり、実演販売をコーナー毎にやっている。主婦達が試食しては買い求めて行く、一人、二人の話ではない、、、ほとんどの主婦が。
昭和40年代=1965年代~ 新しい料理のメニューが家庭に続々加わったと実感された、私に言わせるとハイカラな料理だ。
菓子コーナー、パンコーナーも然り。新製品試食OK、楽しく、美味しい。老若男女行かねばならない?
二階、三階には エスカレーターで移動、昇りと下り途中で知った人に出会う、お互いに手を振り合う、狭い町で、大勢の人が繰り返し『ダイエー』に行く。びっくりだ!。
消費者の凄まじい購買力、いつ皆がこんなに金持ちになったのか?
大人達でさえ欲しい物いっぱい!、子供達が欲しいのは当然だ。
食料品、菓子、パン、二階にはおもちゃ売り場もある。子供達にとって『ダイエー』は、溜まらないだろう。 また男性の買い物客が目につく様になった。
以前は食料品等扱っている店で男性を見かける事は先ずなかった。
食料品コーナーでは男性、子供も抵抗なく、老若男女全ての需要を満たす様な仕組みになって、便利になった、特に冷凍食品は揚げ物が中心だったが、冷凍と言う意味で耳目を集めた。
関係するかどうかわからないがパートでつとめる主婦があちら、こちらで見受ける様になった。


こんどの公営住宅(家賃3000円)は、場所的に何をするにしても交通の手段が限られて、働く意欲がある、なしに関わらず、主婦は皆専業主婦だった。
数人の単身者も混じって極小のコミニュテイーだった。