puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(20)



昭和45年=1970年~ 

新しいのと言うか、未知のと言うかコミニュテイーの皆様にお世話になる事に、転校生の気分だ。
とにかく荷物を運び込む前に挨拶まわりをする。極度の緊張で奥様方の顔の印象は全くない、会わなかったと同じ。当日必要な荷を解きかかると、早速、訪問がある。
部屋はひっくり返っているし、不安と多少の警戒心を持ちながら玄関に出る、何号の奥様かしらと思いながらモゾモゾ応対する。
にこやかな奥様は、挨拶をすますと『お手伝い出来る事、ある?』とご親切に。モゾモゾ、、、。   終始にこやかな奥様、『あれは、そこに置いた方が便利よ』とか、住民の話とか適当に織り交ぜながらこちらに話をふってくる、聞かれれば、隠す必要もないので答える。しばらくそんな雑談?、、、。
近所の噂話なんか聞いたりするうちに不安も警戒心も無くなった頃、にこやかに御引き取りになった。


翌日には私のプライバシーは公開されていた。
以後、引っ越しの際のにこやかな彼女はほとんどお目にかかる事はなかった。彼女は、不機嫌の時が多くて、周りの特に主婦達は彼女の状態を見ながら接して居る様に見えた。
機嫌の良い時は、親切だったし、一日中コミニュテイーは平和だった。
機嫌の悪い原因はいろいろあったと思う。
一番の原因は、『極小のコミニュテイーに閉じ込められるには自分は余りに能力があり過ぎる、と自他共に認めている』と彼女自身が思っていた事にあると私は推察しているのだが、、、。
コンクリートの公営アパートにしては造りがお粗末で、階段の昇り降りの足音は聞こえるし、当時クーラーなんて、どのお宅も持っていない、夏など窓を開けると話声は、筒抜けだ。
実際、彼女の話術とコミニュケーション力は他の人達よりひときは抜き出ていた。勿体ない!。



周2~3回近所のおばあさんが野菜を持って売りに来られるので、とても助かる、安いし、新鮮。
100~150円あったら十分だった。いつもおかずに困った時、おばあさんの家に行く。
畑に一緒に行って待っていると、おばあさんは畑を歩きながら野菜を集めて売ってくれた。いつも150円前後だった。
魚、肉は手に入れるのは難しかったので、缶詰めを中心に乾物もよく使った。
もともと買い物が好きでなかったのと、交通の不便な所に住んでいたので、言い訳なしで、ちょうど良かった。『ダイエー』の様なスーパーがあったら、たちまち破産だ。


戦後、昭和21年=1946年代~物資のない配給制度の下での食料事情で育ったのと、昭和30年=1955年代~第一次成長時代と言われても、都会の家庭への冷蔵庫の普及はまだ低い、まして地方の家庭の冷蔵庫は、夢のまた夢。自ずと 常温で保存出来る旬の食べ物で賄う事になる。料理も変化がない。
結局、私の食べ物に対する経験が貧弱なのが、こんな所で役に立った。 


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