puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

お金の話(14)

昭和40代=1965年代に入ってから、半農半漁で人口の少ない町にもメートル法の完全実施とスーパーの進出を境に、暮らしは近代化? へ変化しつつあった。 食生活は『米穀通帳』の時代を脱して、卵、牛乳、油、牛肉、豚肉、鶏肉、マーガリン、バター、 ソース、…

お金の話(13)

昭和41年=1966年 小さな町にも、日用品、食料品、玩具を揃えたスーパーらしき店が一軒出来た。従来の小売店と違って 洗剤、雑貨、調味料、お菓子、生鮮食料品、文房具が一カ所で調達できる画期的な店だった。 調味料の棚にマヨネーズ、ケチャップ、ソース等…

お金の話(12)

月日は覚えていない、(昭和40年~41年=1965年~1966年)の冬と言うだけは確かだ。 思い出す毎に、胸の奥がキュ~ウと締め付けられる。本当に恐ろしい光景だった。 『不幸中の幸い』とはこの事か?。 (1)普段は防寒の為に閉めてある三畳の間のカーテンが半…

お金の話(11)

お金の話(11)

この借家に移って来て初めての冬だ。気にいっていたが、隙間だらけの家は寒い、底冷えがする。 山陰地方の冬は曇天が多い、雨、みぞれや雪の日も結構ある。 洗濯機のローラー式で脱水しても、気温が低いせいか洗濯物を、家の中に干しても1日で乾かない。 事…

お金の話(10)

昔の日本の家屋は障子の外側に木の雨戸が付いている。風が強く雨や雪が吹き込む時は、雨戸を閉める。昼間だと部屋は真っ暗だ。当然、防犯も兼ねて夜は毎日閉めて寝る。 戦後一時期、父方の祖父(私の父の父)と同居していた事があった。夜明け前、暗いうちか…

お金の話(9)

(昭和40年=1965年)新しい歳にいつの間にか変わって、啓蟄も過ぎた。 寒さも薄らいで温かくなると、身体が軽くなる。 考える事は同じ事(お金の事)ばかりで、さんざん悩んだし、苦しんだ、後悔もした、反省もした、もういい加減飽きてしまった。私の中で…

お金の話(8)

自分では考えられる事は、やれるだけやったんだから結果はどうであれ、一巻の終わりの筈だった。 今回は違った。 公共料金の集金を仕事にしている人達(全く関係のない他人)を巻き込んだことだ。 期日に遅れて払ったにせよ、言い訳はない。 ご飯を食べる事…

お金の話(7)

辞書では『孤独』を、周囲に頼りになる(心の通い合う)相手がひとりも居ないで、ひとりぽっちでいる 事とある。 そして『孤立』を、身の回りに頼り(仲間)になるものがない、不利な立場にある事とある。 へえ~、漢字はうまく出来てるなあ~、改めて感心す…

お金の話(6)

一ヶ月後の貯金の残高は、ええっ? 一ヶ月でこんなに使ったっけ?、、、、。 貰っていた給料の優に○倍を超えて、、、、自分でお金を使った実感がなくて、困惑する。 自分の貰っていた給料を考えて、少なくとも2年は持たせるつもりだった。とてもショック。 …

お金の話(5)

昭和39年=1964年、いい歳(20歳代半ば)をしているので、初めての自立した生活でも、 うまく出来る筈だった。 両親も、私がいい歳になっていると思っていた筈だが、実際の私をよく知らなかったのかな? 唯、随分心配していたのは、わかっていたが、、、。 …

お金の話(4)

昭和39年=1964年 山陰の小さな町に移り住むと決まって、両親共々借家をさがしに行った。 東京オリンピックが開催される年の春だった。 敗戦の食糧難を乗り越えて国民生活が多少落ち着いた頃で、新しい目標と言うか希望が渇望された時代。 具体的に、より身…

お金の話(3)

最初から貯金をあてにした生活が始まった。全く想定外の事で、これにはさすがの私も驚いた。 もう後戻りは出来るわけがなかった。 いや、あったかもしれないが、自分で決めた事なので誰にも相談出来る状況にないと思い込んで 一人で抱え込んでしまった。 歳…

お金の話(2)

(昭和37年=1962年)大病を患って、今で言う就職内定のチャンスを自ら失った。 あり得ないと思うかもしれないが、時代は私達同級生全員100%とは言えないが、来春~夏~秋にか けて社会人になれる、そう思わせる流れがあった。 今は殆ど死語になっている様だ…

お金の話(1)

『足湯』で会った気にかかる女性(30~40歳代)は、いつも長い髪で顔を隠す様にしてうつむいて 『足湯』に浸かっていた。そして誰も寄せ付けない雰囲気があった。 彼女の様子で、私が勝手に推察して心配しているだけかもしれない、ただ疲れているだけかも? …