お金の話(5)
昭和39年=1964年、いい歳(20歳代半ば)をしているので、初めての自立した生活でも、
うまく出来る筈だった。
両親も、私がいい歳になっていると思っていた筈だが、実際の私をよく知らなかったのかな?
唯、随分心配していたのは、わかっていたが、、、。
私自身も、これ程間抜けな人間だとは思ってもいなかった。
町外れの借家には必要な生活用品、調度品、電化製品(テレビ除く)、婦人用自転車、数日間の
食料品が私の知らないうちに運び込まれていた。
だから、あいかわらず私は必要な物、欲しい物はなかった。お金を使う必要も当面なかった。
食料だけは、そうもいかない。
毎日、おばあさんがリヤカーにトロ箱や籠に魚や海藻、練り製品を売りに来る。
たいがい、夫か息子が漁師で市場に出せない旬のものだ。
うちまで来る間に売って、おばあさんは『最後だから全部買ってくれ、安くするから』と言うので
たいがい買っていた。20~80円位だった。
鯵は、30円も出せば、籠一杯20匹くらいあった。 鯵、鯵、、、の毎日が続いた。
いつかトロ箱いっぱい殻付きほたてを持って来て買ってくれと言われて、料理の仕方もわからない し、量が多いし、どうしようと考えていたら、おばあさんは『最後だから負けとくよ、120円』。
わからないまま無理矢理、殻をはずして天ぷらにして数日食べた。
またの日、しまだい(記憶がはっきりしないが、そうけうお?)を籠一杯もって来た。
白身の美味しい魚だ、80円、買いたかったが、籠は籠でも、背負い籠いっぱいで、さすがに
断った。今でも時々思い出して残念だ。あれから以後、高くてとても買って食べる事は出来ない。
問題は野菜だ。
半径1,5km位自転車に乗って、さらにバスに乗って町に出かけないと野菜は買えない。
早い話が、食料品や雑貨を扱う店、公共施設、病院、郵便局、交通機関が遠かった。
半農半漁の町では、基本的に自給自足の生活だ。
地元以外の人間が利用する店は、当然値段が割り高。
店の数が少なくて買わないと困るから、高くても古くても、お客の方が妥協せざる得ない。
当時、はかりの皿に野菜をおいて分銅(金属のおもり)を動かして目方を計っていた。
単位は匁(もんめ)、1匁 3,75g 100匁 375g
正確ではないが茄子3本位で5~6円、人参2~3本で5円、ほうれん草は10円買えば、十分。
家主が養蜂をやっていて、ハチミツは、新鮮、濃厚で一升瓶一本で2000円。
町は余りに遠過ぎた、乾物、こんにゃくと魚とご飯の食事になった。
魚が好きだったので毎日でも良かった。
一軒ケーキの専門店があった。ショートケーキをカットしたのが、一個30円。
働いていた時は同僚に、こんなケーキを3個ずつ箱に入れてもらって、出張のお土産にした事を
思い出した。同僚も出張の時はそうしてくれたなあ~。
今のケーキは、立つのがやっとにカットしてあるが、その頃のケーキはどっしりして大きかった。
歳をとってから、する事がないからか、退屈しているからか、それとも、口淋ししくなったのか
『おやつ』がいる。若い頃は自分用に甘いものを用意する習慣がなかった。
家賃(5000円)と、公共料金と食費、風呂を沸かす薪代、、、、忘れてしまった?。
山と川を眺めて終日過ごすので私自身のためにお金を使う事は、一切なかった。
ところが実際にお金を使って生活をした経験がなかったので、お金を管理すると言う考え方は
全くないし、まして予算、予定をたてるどころではなかった
そして、殆ど毎日の様に、必要だ、必要だとお金を出していた。