puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(3)



最初から貯金をあてにした生活が始まった。全く想定外の事で、これにはさすがの私も驚いた。
もう後戻りは出来るわけがなかった。
いや、あったかもしれないが、自分で決めた事なので誰にも相談出来る状況にないと思い込んで
一人で抱え込んでしまった。
歳を重ねた今に思うと、実際の状況を両親や周りの人達に相談したり、知恵を借りるなど出来たと 
思う。
本当の話かどうか確かめた事はないが、『蛸は食べ物がなかったら、生きる為に自分の足を食べる 』と聞いたが、貯金を崩して生活する正に蛸の生活だった。
町の中心から随分離れた借家で、トイレの窓を開けると目の前に山の崖がせまって、手を伸ばすと
木の枝や葉を触られた。
  
飲料水、生活用水は山の水が引いてあって、水道料金は不要?。
両親と一緒に住んでいた時、光熱費、新聞購読料、NHK、町内会費、、、などの諸費用の話を
聞いた事がなかった。
私自身高校時代は寄宿舎、下宿生活も経験があった。だが、これらの費用を請求された事がない。
家賃にこれらの費用は全て含まれていると思っていたので、次々と集金人が来て、請求されて
初めて事情を知る。
しかも毎月集金があるなんて、はあ~、、、困ったなあ~。
  

一年分の町内会費、班費を払って、やれやれと思っていたら、来て一ヶ月もしないのに、班内に
亡くなった人がいてお香典持参で、手伝いの招集がかかった。
何も出来ないし、知らない人ばかりの中で、教えられた通りにおにぎりを作り、多量の茶碗や皿を拭いたりした。
でも、お手伝い(?)が出来て、良かった。
そのせいか、どうか班の8軒のうち、そのお宅(葬儀を営なわれた)だけ電話があったので、電話の取り次ぎと使用をお願い出来る様になった。この事は両親がとても喜んだ。
 

昭和39年=1964年頃、電話は一般の家庭には、まだ普及してなかった。
1950年代後半 白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』と言われていた。
が、私の知る限り、地方では遅れて1960年代に入ってようやく、ぼちぼち『三種の神器』が一般の家庭で見られる様になったと思う。


昭和40年代半ば=1960年代半ばから いざなぎ景気時代と呼ばれ『新三種の神器』、カーラーテレビ、クーラー、 自動車の耐久消費財が加わる。または頭文字をとって3Cとも言われたらしい。
でも、『新三種の神器』は昭和39年=1964年の東京オリンピックに合わせてカラーテレビが売れに売れたと聞いたが、後の二種が普及したのは、ずーっと後だった。クーラーなんて、とてもとても、、。
そもそも、当時『新三種の神器』とか3Cを聞いた事がなかった。
地方では『三種の神器』はあくまで神器だった、そのために頑張った。


新しい生活を初めて貯金の残高は一ヶ月のうちに、、、、目も当てられなかった。