puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(7)


辞書では『孤独』を、周囲に頼りになる(心の通い合う)相手がひとりも居ないで、ひとりぽっちでいる
事とある。
そして『孤立』を、身の回りに頼り(仲間)になるものがない、不利な立場にある事とある。
へえ~、漢字はうまく出来てるなあ~、改めて感心する。
漢字は一字でも意味を持つ、漢字を組み合わせると簡単に複雑な言葉の意味や表現が出来る。
集中して言葉や漢字を習って覚える小学校時代、不真面目でほとんど勉強しなかった。
日常生活に差し支えないが、特に言葉と漢字は、知らなかったり、書いたり、読めない場合が多々ある。
よりによって、そんな時に限って人が居ったりして思わず赤面するなんて事もある。


周囲に頼りになる相手がひとりも居ないわけでも、不利な立場になっているわけでもなかった。
自分で決めた事については、始末と言うか責任はとらねばならないと思い込んでいただけは確かだ。
両親の心配はわかり過ぎるほどわかっていた。これ以上心配かけたくなかった。
その意味で自ら招いた『孤独』だった。
毎日、雨の日、晴れの日、どんな天気の日も川と山を終日眺めて過ごしていると、だんだん自分が信じられなくなって、無力感にさいまれる様になった。


同時に相変わらずお金が必要だ、必要だと出していて、少なくなっていった。 
家賃、公共料金、NHK,、、、等最低限のお金を確保するため、昼食を抜き始めていた。昼食を抜くのは
単に気休めでしかなかった。(昭和39年=1964年)まだ尺貫法は堂々と通用していて米、味噌、砂糖、醤油、酢、いりこ、削り節、野菜、魚、、、など計り売りだった。塩は専売特許だったので?。
米はもう、まとめて買う事が出来なくて(集金人が何時くるか?臨時出費?)、自転車で出かけて1合~2合ずつ買う様になっていた。最後の方は夕食も抜く回数が増えた。


家賃を払って飲まず食わずは出来ない、もうこの方法しか無いと思った。
つまり公共料金の集金人が来る日に留守をする事しかない?
知らない土地で訪問先がないので、居留守をした。
午後8時半迄真っ暗な中で息を殺して、奥の部屋に屈んでいた。残金0の前の2ヶ月間くらいだったかな? はっきり覚えていない。
 一応払い終わったその足で実家へ帰ったら即入院になった。