puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(13)



昭和41年=1966年
小さな町にも、日用品、食料品、玩具を揃えたスーパーらしき店が一軒出来た。従来の小売店と違って
洗剤、雑貨、調味料、お菓子、生鮮食料品、文房具が一カ所で調達できる画期的な店だった。
調味料の棚にマヨネーズ、ケチャップ、ソース等を見たが、量的にも財布的にも合わず見るだけで帰った結局、魚屋のおじさんと近所の小さい八百屋ですまして、ポテトサラダやスパゲチィなど縁がなかった。


冬近くなって珍しく、家主のおばあさんが訪ねて来て、『家賃を再来月からあげる』とおしゃるので、
こちらは『?、、、』咄嗟に返事が出来ない。
やっと『去年、お宅に伺ってお風呂に水道を引かせて下さい、工事費は当方で持ちます。その代わり申し訳ないが家賃は上げないで下さいとお願いしました。そしたら、別の日奥様は快諾されて市役所の書類に署名、押印して下さいました。』しどろもどろ、、、何とか主旨は言えた。
おばあさんは『そんな話は存じません。初めて聞く話です、あなたに会った事もない。』
二人ともお互い、次にどんな話をして良いかわからないで、黙ったまま時間がたった。
急におばあさんが怒り始めて『私は、書類の事は一切知りません。まして署名、押印するなんて絶対そんな事しません。あなたが勝手に、署名、押印して市役所に出したんでしょ、私の息子は市役所の部長ですから調べて、あなたを訴えますから、よろしいですね?』と言って帰られた。


三者を同伴するか、間に入って貰ったら良かったと後悔したが、後の祭り。
二人の間の『言った』とか『聞いてない』は、第三者が立ち合って居ない場合全く意味なし。
書類を作成した時の状況を一筆書いて貰う方法もあった。今なら、厚かましく『私は歳をとって、忘れる事ばかりで、すみません今のお約束を一筆書いて下さい。昨日の事でも忘れて、、、』とか言えたかも。
もめ事で困った経験がないと言えない。当時私は26歳?だと思う。
そのままどうしたら良いか、わからないまま放っておいた。一ヶ月経ったろうか?
息子さんが訪ねて見えて『母親の署名、押印である事、自分も水道の件は聞いた様な気がする。家賃は今迄通りでお願いします。』の様な事を言って帰られた。経験しないと身につかない勉強をした。


シャンプー 100円  ニュービーズ 100円  牛乳200ml   20円  アイスクリーム 20円
マヨネーズ500g    44円  小麦粉1Kg 78円  チョコレート1枚 50円 
ガソリン(金アポロ) 1L 60円
宝くじ単価100円) 一等800万円  地方公務員初任給 27,600円


ビートルズ来日  テレビのニュースで見たが彼らが到着した時は、もう大騒ぎ! あの若者達のどこ         が良いのかわからなかったが、今彼らの曲を聴いても古く感じない、あの頃から若         者達の音楽力は確かだったかも。私達の世代は一部を除いて、及びでない。
ミニスカート   世界的に大流行、日本でもスカート丈は少し短くなった。
         スカート丈は短くとも膝下だったから、膝を出す事に抵抗があった。あっと言う           間に広まって、膝下の丈がとても古く感じられた。当分の間、恥ずかしくて膝を隠         したい様な落ち着かない気持ちだった。
         佐藤栄作首相夫人の寛子様(当時62歳)が訪米の際ミニスカートを着用されたのを
         テレビで見て、日本の年齢的に自信のなかった女性のスカート丈も短くなった。
         昭和42年=1967年 イギリスのモデル、ツイッギイーが来日してスカート丈は一         挙に若い女性を中心に腿を出すまでになった。