お金の話(1)
『足湯』で会った気にかかる女性(30~40歳代)は、いつも長い髪で顔を隠す様にしてうつむいて 『足湯』に浸かっていた。そして誰も寄せ付けない雰囲気があった。
彼女の様子で、私が勝手に推察して心配しているだけかもしれない、ただ疲れているだけかも?
私の勘違いだったら、ごめんね、彼女。
彼女に会って、若い頃の自分と暮らしを思い出すきっかけになった事は確かだ。
当時(昭和39年)山陰地方の小さい町に住んでいた。
バス代(実家へ帰る片道)だけは、どんな事があっても持っていた。命綱だったから。
時々、実家に帰ると父親が私の顔を見て『気をつけないといけない。そんな顔をしていると
顔がだんだん、金(かね)の字になって、金(かね)、金(かね)の顔になって人相が変わる。
そうすると先ず、人が寄って来ない、お金も寄って来ない、運も寄って来ない、、、』と帰り際に
お金をくれた。そして母親も持てるだけの食料を持たせてくれた。
私は親がどんなに心配をしているのか、わかっていた。申し訳なく思ったし、いい歳をして自分の
不甲斐なさを情けなく思った。
帰りのバスに揺られながら親の気持ちを有難いやら、これで数日は過ごせると安堵する気持ちと. いつまでも自立出来ない自分が悲しく、惨めで悔しくて涙がとまらなかった。
私は20歳過ぎて、大病を患ったので数年は養生が必要で、無理が効かない身体になっていた。
だから新しい分野の仕事を改めて探す事は無理で、しなかった。
がお金は超が付くほど必要だったので、働く気持ちはあったが知らない土地で、知人も居ないし
どうしたら良いかわからなかった。
昭和30年代末は募集広告などのちらしを見た記憶がない、今の時代でも山陰地方の小さな町では
仕事探しは大変だろう。