puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(11)



この借家に移って来て初めての冬だ。気にいっていたが、隙間だらけの家は寒い、底冷えがする。
山陰地方の冬は曇天が多い、雨、みぞれや雪の日も結構ある。
洗濯機のローラー式で脱水しても、気温が低いせいか洗濯物を、家の中に干しても1日で乾かない。
事件の当日、
だらだらと数日みぞれ混じりの雨が降っていて、家中掛けられる所に洗濯物が干してあった。
食事をする3畳の部屋に石油ストーブを置いていて、土間の台所との間を二重のカーテンで寒さを防いでいた。
夕方で、五右衛門風呂に水はすでに入れてあった。風呂を焚くつもりで台所の戸は開け放した状態。
半乾きの洗濯物を円形に広がる道具に干してあるのが、石油ストーブの上に掛けられた。
私は土間の台所にいて、何か気配を感じて3帖の間を振り返った。運良くカーテンが半開きの状態だった。


石油ストーブの上の洗濯物が大きな炎の塊になって真っ赤に燃えているのが目に飛び込んで来た。
75年間生きて、あれほど恐ろしい経験は無い、見た瞬間ぞっくとして鳥肌が立った。命より大切な物を抱えて前の家に走った。運良くご主人の帰宅時で玄関は鍵がかかっていなかった。。
いきなり、奥さんに『火事です、連絡お願いします』と言って帰って来て、流しの水道の蛇口を思い切りひねった。
もう、その時は炎が出す熱風が部屋中、円を描く様に回ってカーテンが大きく左右前後揺れに揺れた瞬間、どさっと落ちた。
同時に洗濯物を干した金具がストーブの上に落ちた。何もかも同時展開だった。炎の勢いからして数秒の事だと思う。
はじめ石油ストーブに布団を掛けようと思ったが、風呂の水が溜めてあったのが幸運だった。
水で3帖の部屋の炎は一気に鎮まった。


天井は燃えていなかったが、天井の四方の隅々から鴨居に沿ってチロチロと火が伝わっていた。
壁も3面、所々火がチロチロ、まるで赤い花のように点々と燃えていたが、これは簡単に消せた。
消し終わった時、前の家の奥さんが来られた。
私は『火事です、連絡お願いします』とはっきり言ったつもりが、奥さんには何も通じていなかった。
後で聞くと何を言っているのか、わからなかったらしい。
普段付き合いのない私が血相を変えて飛び込んだと思うのは私だけで、奥さんはご主人が帰宅されたので、ようやく私に何か起ったのかと来て、落ち着いた私を見て『主人が帰って来たから、またね』と帰られた。
結局、説明しないままになった。 
台所の蛇口は、思いっきり開けたので、ジャージャー水は出し放なしで、土間は水浸しになって、ぬかるみになってしまった。火を消している間は全く水が出ているのに気がつかなかった。


2015年1月17日 阪神、淡路大震災20年の追悼式典が天皇皇后両陛下も出席されて行われたのをNHKのニュースで見る。6434 人が亡くなられ、11万棟もの住宅が全壊したと言う。
あの時は、地震地震による火災が同時に起きた。
被災者の方々は、二重苦、三重苦の経験をされたのだ。
言葉に言い尽くせない恐ろしさ、悔しさだったと思う。改めて天災の恐ろしさと惨さを感じる。
被災された方々、残された家族の方々に心の平穏が1日も早く訪れます様にお祈りします。