puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(28)



昭和53年=1978年~平成16年=2004年
お金については『石橋を叩いて渡る』どころか、渡らなかった私が、バキュ-ムカーの件で銀行の融資を受けた。初めはトイレだけのリフオームのつもりが、隣地が突然売りに出された。
私が住んでいる家は、一帯で昭和に入って一番早く建った家で、後から建った周りの家は次々盛土して高くなってしまった。雨量の多い時は、集中して流れ込む。敷地が36坪しかなく、土地に余裕がないので長年家の周りに側溝を付けたいと願っていたが出来なかった。
隣地を全部買う資力は、勿論なかった。
この機会を逃すと永遠に土地は買えない だから絶対に手に入れなければならない、何が何でも、、。
考えた末、共同で買ってくれる人を探す事になった。
つまり側溝を造るだけの土地を分けてくれる条件を承知した人を探し出すのだ。          コミニュケーションが苦手とか言ってる場合ではなかった。こちらの交渉は初めから状況からして不利だった。  突然買い手が現れるかもしれない不安と時間との戦いだった。
なりふり構わず、知り合いに頼んだ。病院、ちょっとした集会、美容院でも話して頼んだ。半年位経っただろうか、全く予期してなかった人から連絡があって、こちらの条件で良いから土地を、買いたい人が居ると、、、。
『求めよ、さらば与えられん』こんな事もあるんだ!。本当にハッピーだった、ついていた。


また銀行に追加の融資を厚かましく頼みに行った。その頃、最初の融資と極僅かだが『つもり貯金』と
国民年金』の掛け金を払っていたので、生活は困窮極めて、塾の講師を始めて居た。
あの頃の事は、ほとんど覚えていない。銀行の融資もすんなりと審査が通ったと思えないが、、、。
たいがい、お金の事は執拗に記憶して居る筈なのに、この期間の事は覚えて居ない。側溝分は買えた。
もう、何も言う事はなかった。


相変わらずお金に追われる毎日だった。いろんな即席麺が次々新発売されても、試す事もなく新しい食材も、スイーツも、外食も全く縁がなかった。自分用の好きな本さえ、、、。
世の中の事も、周りの人々の様子も、季節にも疎くなった。
『花に興味ないのか?』と言う様な内容をある人が言ったっけ?。 花?、今の団子さえ事欠いているのに?
私は、毎日一生懸命なのだ。融資の返済、老後の生活の為の国民年金、当座の生活を守る積もり貯金、、、、、。これらは自分の為に働いているから、出来るのだ。 私は楽しんでるの、何か?。
やれ演劇だの、音楽会だの、美術館に鑑賞にS市、B市まで行く時間も余裕も無いのだ。
あっちに行った、こっちに行ったの旅行の話も、黙って聞いてるじゃないかと思う。
選りに寄って、人の貴重な時間を邪魔して、一度ならず二度、三度と言うのは無神経だと思う。
言ってる本人は悪意が無く、からかって居るつもりか、度重なれば、不快で気が重くなった。
誰に何を言われても、仕事をせず家に引きこもって無味乾燥な孤独より、はるかにましだった。
収入は少なかったが、仕事は楽しかった、毎日が忙しく、嬉しかったなあ~。