puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(27)



昭和52年=1977年~昭和54年=1979年
働き始めても暮らしは、一向に改善されず、困窮を極めていて、全て食費にしわ寄せが、いっていた。
だが、働き始めて自分が良い方向に変わりつつある事、気持ちが軽くなっていくのが自分でもわかった。
十年余りの困窮生活と無味乾燥な孤独な状態の中の、荒んだ投げやりな気持ちがなくなってきた。
収入は多いのが良いに決まっているし、自分の希望する仕事に就く事が良いかもしれない
が、労働市場での、自分の能力、技能を考えると、収入は自分の価値相応だと思う。
不足だとは思った事もなかったし、使い走りの仕事も苦にならなかった。 働く事は素晴らしい!。
人間なのに、働き始めて本当の人間になったみたい。
黒い鞄の月賦、銀行からの融資の毎月の引き落としも、僅かな『つもり貯金』も働き始めて、出来る様になった。


町内会の役員は持ち回りで1年毎に交代する。予期していたが、私の住んでいる班の班長さんが当番に
なって『国民年金』の意義と説明に来られた。勿論定額貯金、保険の事も、、、。
私は『国民年金』に加入した、しかも『国民年金付加料』も合わせて。
同じ班で、多少の見えがあったかもしれない、当時本当に他の人にはわからなかったと思うが、生活は自転車操業で、いつも気を張って生きていた。ちょっとでも気を緩めると生活は破綻する。
自分の中でお金があったら、もっと早く加入すれば良かったと思う気持ちを、数年間引きずっていた。
自分なりに調べて、考えて、考えて決断した。
今の生活を守る為の、わずかな『つもり貯金』でさえ大変なのに、『国民年金』を毎月払い続けるのは気が遠くなる様な決断だった。
しかし、あの十年余りの困窮生活と無味乾燥な孤独な状態を、自分が老人になって働けなくなった時、また繰り返す事は絶対、嫌だ!。 老後の生活の為の貯金は先ず出来ない、無理だ!。
保険をかねた『国民年金』に加入するのが、当時出来る精一杯の事だったし、妥当と判断した。


働かねばならない、もっと働きたいと日ごと意欲が出て来た。気持ちが前向きになると、身体の調子が良くなった。相変わらず、自転車操業だったが、止まらない限り大丈夫と変な自信が出て来て?、、。おかしな話だが、いつまでもこのままではいけないと思う様になった。
新しい仕事に就くまで、使い走りを4年11ヶ月間勤めた、その間に厚生年金に加入させて貰った。
収入は初めから辞めるまで、同じだったがとても助かった。自分の労働の価値以上の待遇だったと思って、感謝している。




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