puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

お金の話(29)



平成元年=1989年~ 平成16年=2004年
毎日、毎日が忙しかった。なりふり構っている暇も余裕もなかった。二つも仕事を持てば当たり前だ。ちょっとでも気を緩めると生活は破産だ。だけど働く事が嬉しくて、辛いとか、苦しいとか思わなかった。
私は仕事をする事で、人間になった。
収入が多い、少ないと言ってたら、何も始まらないし、先に進めない。労働市場で、売り込む自分の能力、技術の無さを思い知らされるだけだ。その頃から人を当てにする気も、なくなった。


自分を幸せにするのは、自分しかないとも、思う様になった。自分を信じたかった、変わりたかった。
仕事は、私に活力と希望をもたらした。
幸いにも私のする事、考える事に何も言わず、一心に黙って信じて応援してくれる人達が少数はいた。
今の私があるのは何も言わず一心に信じてくれた少数の人達の存在があったから。なかったら?、、、
常に気持ちの中では、あの10年余りの家に引きこもりの困窮生活と、孤独な生活は自分を殺して生きる事と同じだった。
当時、自分の心が荒んで、優しく思いやりの気持ちが無くなった。精神がバランスを崩して病んでいくのを自覚するのが一番辛かった。忘れる事が、なかなか出来ない。


平成5年=1993年9月、大型で非常に強い台風13号が通過。
寝ていたら、バリバリッ、ガチャーン、、、ものすごい音がして二階に駆け上がったら、掃き出し窓のガラスが飛んで来た瓦で割れていた。雨水がものすごい勢いで流れ込んで、廊下はガラスの破片と雨水で歩く事も出来ない、風は部屋の中をぐるぐる大きく回って、ただ見てるだけ、電灯も大揺れなのに、どうする事も出来ない、初めての経験だった。
この地方で稀に見る大型の雨量も多い台風だった。我が家のセメント瓦はバラバラ飛んで行ってしまって、急遽ブルーシートを被せて過ごす事になった。
うちだけではなかった、見渡す限り近辺の家の屋根は、ブルーシートだらけになった。


仕方がないと言うか、当然と言うか『備えあれば患え無し』は、全く関係なかった。大型の災害が起るなんて想像すらしなかった。日を追う毎に、ブルーシートは少なくなった。考える事が億劫で、名案が浮かぶ筈がなかった。ブルーシートで何とか一冬は過ごしたが、翌冬となると、、、。
また、銀行に行かねばならない。この時は、塾の講師と旅館の女中の仕事をしていた。
今まで何とかなった、今度こそ、最後のリフオームだ、屋根を造り直すのだ、武者震いがして来た!。