puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(3)



公営住宅に住み始めたのは昭和42年=1967年の秋、だから随分古い話になる。
当時の生活と今の生活とは、雲泥の差がある。便利な生活を知ってしまったので、もう戻りたくない。
当時、自転車、洗濯機は貸したり、借りたりが結構あったが,今は一家に人数分、自動車を持っている家も珍しくない。電化製品は揃っている家が大部分だ。
先日来、内視鏡を使った手術の技術習得の不足が問題になったばかりなのに、NHK3Dプリンターを使った手術の話があった。さらに驚いた事にips細胞を目の難病(人体)に初めて移植されたとか。
あのホリエモン宇宙旅行も、まんざらほら吹きだけでもなかろうと思えてきた。
日進月歩,いろんな分野が変化していくスピードに、人間の感情、身体が付いて行けるのだろうか?


私は無職になってから、およそ半年で貯金を使ってしまった。貯金のなくなるスピードに途中で気がついて、何とかしたいと思ったが出来なかった。
家賃、公共料金、、、等払わなければと昼食を抜いていたが、貯金のなくなる最後のあたりは夕食も抜く回数が増えていた。これ位では何の足しにもならなかった。身体を壊しただけだった。
両親は私の様子で感じた事があったのか、実家に帰ったおりには、母は持ちきれない程の食料を、父は某かのお金をくれていた。両親に貯金がなくなった事は言わなかったので、まさか父の某かのお金で暮らしているとは思っていなかったと思う。
某かのお金は無職の間、金額は変わらなかったので,物価の上昇は生活を直撃した。
実家に帰らない時は、郵送されてきた。父は『お金の事ばかり考えていると、顔がお金の字になるから
気をつけなさい。お金の字の顔になったら、先ず人が寄って来ない、お金も寄って来ない、運もよって来なくなる』と言っていた。
公営住宅には、単身者から老夫婦までいろんな年代の人達が住んでいる。暗黙のうちにお互いの収入、プライバシーは公開同様だ。だから私は、はっきりした理由はないが油断があった。お金がないのが
恥とも思った事もなかった。


Kさんは、自分でも容姿に自信があったみたい。私は容姿に恵まれていれば、そんなに洋服に気を使わなくとも十分だと思うが、そうではないらしい。
容姿に恵まれた人が上等の洋服を着ると、確かに格段に素敵になる。それが、わかっているからだろう
Kさんは誂えた上等の洋服を普段着にしていた。
毎年、社名の入った車で誂えた洋服が届く。
そして住宅の人達に話題を提供して楽しませる。人が集まれば、人数分以上の情報が集まるって事だ。
人は皆知ってますKさんの事情を、Kさんは、おそらく知らないのだろう。
Kさんは、お金の話をするのを下品な事だと思っている節があった。
いつか、今まで見た事のないきつい顔で『お金の話は一切する気もないし,聞くつもりもない』と言ったのを聞いた事があって、その時の雰囲気に、震え上がった。
Kさんは、いつも柔和な顔をしているので、こんな怖い面があったとは全く意外だった。
能面の様に無表情になって強い口調で言い放ったKさんと普段のKさんを思い,見てはいけないものを、見てしまった気がして、見なければよかった。