puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(2)



寒さが厳しかった頃は用心をして、起床時と寝る時に『絶対に風邪をひいてはいけない』と自分に
よくよく言い聞かせる。年々回復力が衰えて、風邪でもひいたら寝込む日数も増えるし、余病が出そうで怖い。(本音は鏡を見るのが、もっと怖い。こんなに歳をとらないとわからない事が、まだあった。
私だけなのか? 2~3日寝込むと、数十年の積もった疲れと、自分の中に隠されていた性格の悪さ?みたいなのが顔や身体に一度にどお~っと表れる。
鏡の前では、実年齢より頑張っているからそれなりに?、、、。 病気になると気取る事も格好とる気もなくなって、(ありのままの~なんてとんでもない! )。
本当の自分がしっかり出て来る、止め様がない。
他人と思いたいが紛れもなく自分なので、病気の重さより容貌のすさまじさにがっくりくる。
だから病気になるのは、少しでも遅く延ばしたい。
今月に入って『逆流性食道炎』と勝手に診断して病院に行く、胃カメラ、ピロリ菌の検査を受けて異常無しなのに、症状は一向に治まらず薬を変えては経過観察中だ。


認知症の検査で一昨日の夕食のメニューと昨日の朝食のメニューを、聞かれるが思い出せない。
昔の事は、ヒントがあれば結構思い出す。
思い出す時間は十分ある。(最近、膝が悪いので医者に行く位で、他に出歩く事がないのと自分の世話だけなので。)
私が関わった『困ったちゃん』達を思い出していたら、半分は自分に原因がある様に思えて来た。
私にも若い時があったんだ、当時より,随分厚かましくなった。 今ならどうするかな? 
『困ったちゃん』達に驚いたり、動揺したり、悩んだ事もあった、、、。


私の学校時代、小学校は,最悪最低だった、次に中学校だったと最近まで,思い込んでいた。
日本が戦争に負けて民主主義の社会になった。学校の現場も然り。戦後、私は民主主義教育をうけた第一期生で、気の休まらない、憂鬱な場所=学校になった。自己啓蒙、自己主張、積極的発言、行動、協調、、、などが『良し』とされる雰囲気だった。
学校は私にとって苦手な、そして一番縁遠い世界だった。
私は、幼稚園には、泣いて泣いて行かなかったし、小学一年生の時も、殆ど出席しなかった。
二年生の時は、時々。 三年生になった頃、突然周りの子供達が皆学校に行っているのに、自分だけが学校に行かないのはおかしいと思う様になって通学し始めた。 
私は大人、年上の人たちの中で育ったので、同年、年下の子供に対してのコミニュケーションが出来なかったのだ。(今だから、そんな事だろうと思う)
話はしない、勉強は出来ない,発表もしない、掃除も出来ない、、、グループに入れても、役割をふれば欠席するので、これではいじめにあうわなあ~。
今の様ないじめではない。当時のいじめは仲間外れにするか、グループに誘わないか、聞こえる様に悪口を言う程度だ。


誰かに聞いたのか?自分で知ったのかわからない。いじめにあった時、不快に感じた時、いつも自分に言い聞かせて気持ちを鎮めた言葉『負けるが、勝ち』。
面と向かって意地悪をされた事もあったし,無視された事もあった。理不尽に思う事もあった。
私は言い返す事は知って居たし、その気になったら出来たかもしれない。
私は見たまま、思った事を後先考えなしに言うところがある。誰でも本当の事を言われたら、傷つく。
私は、ひょっとしたら卑怯なのかも? 自分が口に出した事で、相手が傷つくのを見たくない。
自分がさらに不快になるのがわかっているから、それは嫌だ。『負けるが、勝ち』。


心からこの人と仲良くしたいとか、親しくこれからもつき合っていきたいと思った人だけは、先ず自分の事を知ってもらいたいと思う。相手を信じないと、相手も自分に対して変わってくれないと思う。
本気で自分を出せる人に出会う事は滅多に無い。人生で老若男女合わせて数人あるかないかだ。
たとえ一人でも自分が相手を信じられて、相手も自分を信じてくれたら、素晴らしい事!。
この世に、共感してくれる人が一人確実に居る事なのだ。
そんな人に出会えたなら、誠心誠意出会いを大事にされます様、願うばかりだ。