puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(1)



半世紀以上生きて来たので、いろんな出会いがあったと思う
周りの人たちに助けられて今の私がある。
なのに、改めて思い出そうとすると、何たる事!。  忘れてしまったのか、意外に少ない。


Oさん、後にも先にもこんな上等な人に会った事がない。
同級生だったが、私が病気のため遅れて卒業、職場では先輩になる。学生時代は、話をした記憶がない。美人なのに控えめでおとなしい印象があった。
初めての職場に知った人が居るのは、心強い思いだった。 再会すると彼女は学生時代と全く変わっていなかった。会ったそのままの人柄で、ご両親や家族に随分かわいがられて育てられた感じだった。
彼女と私の住宅は崖の上段と下段にあった。
朝寝坊しては 、突然押し掛けて朝食をご馳走になった。
一人なのに、いつも炊きてのご飯と味噌汁と漬け物とおかずが用意してあった。
同じ24時間でいつも突然なのに、お部屋も掃除されて片ずいている。不思議で、別に疲れた様子も見えないし、あの頃はシャツ、ブラウス、スカートに化学繊維がなく木綿でアイロンがけが必要だった。
晩ご飯も仕事が遅くなったら、一緒にと誘ってもらって、遠慮なくご馳走になった。お風呂も彼女が沸かしてくれるのに入っていた。
殆ど寝ると時以外、一緒で彼女の世話に成りっぱなしだった。
仕事は、完璧で言う事なし。一朝一夕でなく長い時間積み重ねた本物の実力があった。
彼女は、人に対しても仕事に対してもいずれの場合もぶれる事がなかった。
いつも控えめで、誠実、親切だった。裏表のない頼りになる先輩でもあり、同僚だった。
私は、彼女の真っすぐで、ぶれない物を見る目、考え方が好きで、彼女とのおしゃべりを楽しんだ。
周りの人たち皆、彼女の人柄に一目置いていた。 後年、彼女は最高のポストについた。
彼女の人としての上等さは、彼女の資質と努力、そして、ご両親の家庭教育の賜物だと思える。


Hご夫妻に初めてお会いしたのは、私が高等学校3年生になったばかりの昭和35年=1960年4月8日始業式直前だった。
高等学校の2年間私は寄宿舎でお世話になった。突然にも関わらずご夫婦は、女の子を育てた事がないから嬉しいとおっしゃって即答で始業式に間に合う様にと引き受けて下さった。
当時未だ車社会でなかったので、市民の足は電車だった。下宿と学校まで徒歩と電車でおよそ1時間かけて、通学した。月~金曜日まで、授業前7時~と放課後に課外を受けていた。
6時には学校に出かけたので、奥様は朝食とお弁当造りに朝早くから難儀な思いをされたと思って、今になって申しわけなく思う。
ご夫婦を見ていると、立居振舞いがどことなく違う、ご主人様も奥様も穏やかで、偉ぶった風もなく、心地よい凛としたところがあった。普段はご夫婦と私と三人で食事をするが、土、日曜日は三男、四男のお兄様達が帰って来て賑やかになる。
一人は就職活動の真最中で、一人は医学部の編入試験を目指していて、食事の時、夜食の時等に高校時代の話や、大学の話、就職活動の話をご夫妻と一緒に聞けて、楽しんだり心配したりした。
夜食には必ず呼んで下さった。
下宿した時からご主人様にお茶を立てるのを教えていただいて、夜食の時はご主人様にお茶を立てて差し上げるのが習慣になった。
ある晩火事があって、奥さまが早く行っておいでと下駄を揃えて下さったので、お兄様と走って見て来た。この歳になって思うと、ご夫妻が四人のご子息を旧帝大に進学されていて、私の息抜きにご家族で気を使って下さったとわかり、申し訳なく有難く思う。

下宿でお世話になっていた頃は、未だ白黒のテレビ、掃除機、2ドア冷蔵庫も一般家庭には普及していなかった。電気釜もなくて、ガスや薪で炊いていた。
お風呂も当然、五右衛門風呂で誰かが入浴すれば、風呂の焚き口で待機だ。トイレは汲取。
そんな時代に、奥様は『婦人友の会』の会員だった。『友の会』の講習があった日は、新しい製品をつかった料理を作ったり、教えて下さったり、講習の内容を話して下さった。
私は家族、家庭、家事、家計とかが、研究、工夫、実践、検証の対象として考える人達がいる事にショックを受けた。正にカルチャーショックとは、この事を言うのだろう。
私の知らない世界だった。1年近く24時間、寝食を共にして健康に、穏やかに、無駄の無い、奥様の前向きの考え方と生活技術に、目を見張る思いがした。
年金生活に入った今、羽仁もと子著作『高年生活の家計簿』を使っている。


一生のうちで、Hご夫妻と前述のOさんとの出会いは、本当に幸運としか思えない。
それぞれに共通している事は、穏やか、質素、無駄が無い生活、そして誰に対しても偉ぶったところがなく、優しく、親切だった。
ただ、残念なのは、Hご夫妻のお亡くなりになる前にお会いして、当時のお世話になった御礼を申し上げる機会を持たなかった事が悔やまれる。