puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(9)




4年間、この公営住宅に住んだ。彼女と私の家は、同じ棟で住宅の端にあって、玄関は一軒をはさんで並んでいた。前の棟の住民から、この棟の住民の出入りは、全く見えない。
私は彼女の家だけでなく一軒のお宅しか上がった事はなかった。
玄関ですむ用事の時しか行かなかった。T夫人は機嫌が良いか、悪いか、きりっとした雰囲気をただよわせているか,いずれも対応に苦慮した。
時に、彼女は油断していたのか、虚ろな目と、途方に暮れた表情を見せる事があった。 
頭痛か、思煩う事でもあろうか普段見せない彼女の弱気な面を見て、普段と違いすぎるので私は気にかかっていた。
土、日曜日,祭日、T夫人か、私が在宅しない時以外、T夫人は、夕飯時毎日の様に計量スプーンとカップを持って調味料を借りに来る。
夕飯時で考える時間を与えない、もう支度して調味料入れるだけと言われて毎回あわてて持たせてしまう。いつも帰られた後で、腑に落ちない。
当時、私は、牛肉、豚肉、鶏肉,ハム、ソーセージ、ベーコン等が高くて買えないので、代わりにごま油、バターを使って料理にこくと風味付けをしていた。ごま油、バターは欠かせない調味料だった。
極少量で味が良くなるので大切に重宝していたのだ。
醤油、酢、味噌、砂糖、塩、味醂、ケチャップ、マヨネーズ,ごま油、バターも当然のように借りて行かれる。わたしが住宅を出るまで、夕飯時の訪問は続いた。
『貸して』と言われるので、いつか返して貰えると思っていた。とうとう返して貰わなかった。
引っ越す事は直前までT夫人には言わなかった。(こちらも生活の限界だったし、早く言えば居り辛くなると思ったので。)


何時頃だったが、前の奥さんが泣き顔で、庭から駆け込んで来た。(その様子を、T夫人が見て居た)
奥さんはT夫人にお米を貸して、約束の日になっても返して貰えないので、お米を返してくれと催促に行かれたそうな。そしたら『だから、貧乏人は嫌い。』と追い返されたらしい。
奥さんには,食べ盛りの子供が三人、計五人分のお米×日数が用意されていた。奥さんは土曜日になったらご主人の実家に行って農業を手伝ってお米を貰う予定で、きっちり計算して毎日を過ごしていたので、後三日はお米を返して貰わないと過ごせない。
この事情をよくよく説明して断ったにも関わらず、半ば強引にお米を借りて帰ったらしい。
今日の晩から困る、その上『だから、貧乏人は嫌い』とは、何事か、悔しい酷過ぎると涙を流された。


私は、その時初めて知った。T夫人は、私から、調味料を、前の家の奥さんからお米とお金を借りているのを。そして前の家の奥さんにはお金持ちのお友達がいて、お友達からお金を借りて調達してあげているのを、唖然として言葉もない。こんな事が現実にあるのだ。


数日後、T夫人から呼び止められた、案の定、きつい顔をしている。まわって庭にいくと、T夫人は、
掃き出し窓の所に立って、話が長くなる感じがしたので、しゃがむ事にした。
いきなり,頭の上から『歳はいくつになるの?』別に隠す必要がないので、答えると『私より、年上じゃないの?、年上ならそれらしく、しかるべき人間であるべきじゃないの?』『?』、、、。
『二人とも、こそこそ人の話をして,いい歳をして恥ずかしくないの?』ようやく,お米の話なのかな?と思ったが、聞いているとそうではないらしい。 
何を言われても弁解する気もなかった、説明する気もなかった。
どうやらT夫人の言いたかったのは『実るほど頭を垂れる稲穂かな』。
私がT夫人より早く生まれて、学問や徳が深まって謙虚になるべきところ、一向にその様子がないばかりか、年上と言うだけで実際は小物で横着であると言う事らしかった。
確かに言われた通りなので、だまって退散した。
長あ~い話と鬱積した話に、二時間要した。陽がかんかん暑かった。