puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(7)



昨日、お医者の帰り八百屋の前を通りかかって見ると『葉わさび』の新鮮なのが出ていて、しかもお値段お手頃、2把買う。 一年ぶりの『葉わさび醤油漬け』、気分もルンルン気合いが入る。
洗って適当の長さに切って???、、、、作り方を思い出せない。早速,あっち、こっちをクリックするが、記憶にある『振る動作』がない? 仕方がないので、レシピの通り作った。
夕ご飯で食べてみると、葉わさび独特のつんとした辛みはなく,唯の葉わさびの煮物,がっくりきた途端作り方を思い出した。遅過ぎたが思い出したので、次からは美味しい『葉わさび醤油漬け』出来る筈。
やる気が出て来た。
先週会った人から、『糠漬け』の話、聞かないねえ~と言われる。去年はNHK朝ドラの後の『アサイチ』で習ってから、『糠漬け』が、はじめて良質で美味しく出来た年だった(例年我流で作っていたのが乳酸菌0で、ショックだった。)
山椒の実を入れるまで『糠床』は保った。
当分頭が『糠床』で一杯になっていた。しばらくしてズキンズキン膝の激痛が昼夜問わず始まって
『糠床』の世話を放り出してしまった。
生野菜の季節になった、次回は葉わさび、糠も買って来よう。 


この頃は歳の事を含めて全ていい加減、大ざっぱ、くよくよ考えたりする事がなくなった。まあ、とても生き易くなった。言いたい放題、やりたい放題、責任はとらない。(認知症かも知れない?)
自分の事は棚に上げて他の人の事ばかり,すみませんねえ~、家に居て変わった事ないので、つい、、。


昭和45年=1970年~
当時私は30歳を過ぎていた、二度目の公営住宅に住む事になった。
ちょうど戦後が終わって日本全体、人が努力すれば、努力に合う結果を手に入れる事が出来る、希望が持てる時代になっていたと思う。
メートル法の完全実施で土地の価格が暴騰、連動して物価が上昇したが、人々は、夢と希望の実現に
がむしゃらに働いたと思う。しかし私の生活は困難を極めていた。
陸の孤島は生産者でない限り不自由だが、欲しい物、必要な物を見なくて済む、買わなくて済む。
朝から晩まで有り合わせを食べて,外出の機会がないので『着の身着のまま』で過ごせて逆にありがたかったが、長い間感情を無にしようと努力するのに限界があった。
自分がいつ気が狂ってもおかしくない状態と自覚していたので、他の人の事を思いやる気持ちが無くなっていた。
上流階級の人達の間では、目に見えない上~下まで小さくランク分けがあるような気がする。決して見えないが、お互い暗黙のうちに了解していると思う。
上にランクが上がる程、出しゃばらない,偉ぶらない、質素で自然体であると同時に、他者に対して優しさと気使いがあった様に思える。私は実際に確かめた訳ではないし、全く無縁の人間なので、想像するだけ、ただ僅かではあったが高校時代の3年間のほとんどを24時間寝食共にした人達に感じた事である。


お金、お金を何とかしないと,今日のご飯どうしようとばかり考えて暮らしていると、お金に困っている人が、お金のない人を馬鹿にすると言うか、軽蔑すると言うか、訳の分からない対応にびっくりさせられる。
別に、お金や物を貰いたいとか、お金や物を貸してとか言った事はないのに、『貧すれば、鈍する』
私には、人間として品性に欠けていたのだろう。見かけも悪過ぎた?今は厚かましくて、度胸がある。
だけど私自身はお金を好きだし、お金の話をするのも好き。(お金が無くなって困窮生活をして初めてお金の大事さを知ったし、お金を好きになったと思う。)
本当にお金に困っている事が下品とも、恥とも思っていない。
T夫人には参った、Kさんにも参った。二人には共通した面があった。
誰も見ていない、誰も居合わせていない時に痛烈な一撃を出す。二人に最も共通している事は、顔だ。
能面の様に顔から表情が無くなる、赤みが消えて顔の中心が青みがかって来る。
もう、この段階で私は震えが止まらない、そしてきつく,短い言葉で言い放つ。人格を否定された様で当分,身も心もズタズタだ。
T夫人とKさんとは縁もゆかりも全くない。知り合いでもない。出身も北と南のごとく離れている、不思議だね。今だから、言っても良かろう、私はT夫人、Kさん二人にお金、物品で借りはない。私が二人の目障りだった事は、私自身はっきり認めざる得ない。私が悪い。だから『負けるが,勝ち』


T夫人が自ら私に話した事。彼女は二人姉妹の長女、裕福で家柄の良いお生まれで,将来は養子婿さんを迎えて家を継ぐと育てられたが、高校生の時お母さんが亡くなられた。