puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

年金生活(28)



寒い間一旦休んでいた断捨離の続きをしようと思っていたが、暖かくなったと思ったら即暑~い。
なかなかやる気が出ない。
差し迫った予定がないので時間つぶしにパソコンを開けて見ていると、近畿大学の卒業式にゲスト
として堀江貴文氏がお祝いを述べている動画があった。
久しぶり、見た目あまり変わっていない元気そう!。  
私の好きな人達の中に堀江貴文氏がいる。
面識は全く無しなのに許しもなく勝手に堀江くんと呼ばせて貰っている。
そんな訳で人前で馴れ馴れしく呼んだりはしない。


ずっと以前、私が初めてメデイアに登場した堀江くんを見た時、若い人が垣間見せる挑戦的で
自分を理解して貰えないで苛立たしいのか、何故かわからないが先を急いでいる風な印象を受けた。
2005年、堀江くんが衆院広島6区から立候補して、陸の孤島だったかで演説をしていて『皆さん、
立派な道路が通っていますね、人や車を見かけませんが利用していますか?』
集まっていた高齢の人達は、、、首を振るばかり。
堀江くんは『何故,道路より救急ヘリコプターが欲しいと言わないのですか?救急ヘリコプター
があれば病気になっても年中安心でしょ、、、』みたいな事を言っていた。
堀江くんのこの発想力をきっかけに私は堀江くんのフアンになった。
お祝い中で堀江くん自身がいろんな経験をした事を述べていたが、いろんな経験が彼に良い作用として
効いたのだろう。
堀江くんの直截的な物言い、表現がわかりやすく、私にとっては好感が持てる。
今回は年齢相応の穏やかさが備わってきたと思う。
堀江くんは本質的には変わっていなくて、中身(見た目ではない)がスマートになったと思えて
安心した。


堀江貴文氏は卒業生に餞の言葉として『未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ』を贈られた。
近畿大学の卒業生の大部分は堀江貴文氏から直接言葉を贈られて一生忘れないないだろう。
幸せな人たちだ。
わたしは若い時にこんな話を聞きたかったとつくずく思う。


堀江くんの話を聞いて思う。
話はとぶが、戦争を経験した人達は私より歳上だ。
1932年~1943年前後の生まれの人達は戦後の生活は経験しているが戦争の経験がない。
歴史上、私の年代は人の一生のうちで戦争がなかった平和な時代を過ごす事が出来た珍しい年代と
聞いている。
これから先の事は想像出来ないし、楽観も出来ない。
インターネット,スマートフオンなどを駆使して国々の境がなくなったら、、、。


いつの頃からだろうか? 夜,寝る前に今日も元気で何事もなかったのを感謝する様になった。
時々,不安になる。いつまでこんな穏やかな平和が続くのだろうかと。
先日,テレビで女性の再就職を取り上げていた。
ずっと前から心配していた事の一つが再び現実になりつつある。


戦後,誰も彼もその日の食べ物を得るのに必死で、他の事は何も見えなかった。
昭和30年(1955年)代に入って食が足りて世の中が多小落ち着いてくると、知恵のある人、
時代の先が読める人、努力する人、器用な人、資格のある人、芸に覚えのある人、
コミュニケーションに優れている人,,、,等は生活の再建が早かった。
昭和40年(1965年)代に入るとカラーテレビ、自動洗濯機、炊飯器をはじめ自動二輪車,、,等
を購入オートバイを乗る人も出てきた。
食が足りると子供たちの教育に熱心な家庭も出て来る。
普段の生活は米屋、酒屋、八百屋,魚や,,,でその日必要な量だけ買えばよかった。
ところが尺貫法が導入されて生鮮食料品をはじめ,物の値段が毎日毎日高くなった。
更にスーパーが進出して、これでもか、これでもかと味わった事のない食材や見た事のない
新しい商品とサービスで老若男女は欲しい物だらけになってしまった。


戦後の生活が一変して便利な消費生活になったのに東京オリンピック後の不況で困った事に、
労働者,特に一家の大黒柱の給料は思う様に上がらなかった。
一言で言えば収入より支出が多くて生活を直撃したのだ。
つまり『独り口は食えても,二人口は食えない』。
戦後のスタートはほとんど同じ貧乏だったと思うが、気が付かないうちに少しずつ人々の生活に
違いが出てきた。
地道に生活をするのが無理になって限界だった。
あの時の環境、状況が違うが根本は同じだと私は思う。