puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

年金生活(15 )


秋の気配を感じる頃から自覚症状がありながら、病院になかなか行かなかった。
痛さと不安で我慢出来なくなって病院に駆け込む、いつものパターンだった。
それから検査の結果と治療方針が決まるまでの期間は、落ち込んで何もしないでじっとしている日々があったり、ハイテンションになって動き詰めの日々があった。
普段放ったらかしの雑用が途端に気になって、朝早くからあれもこれもと手をつけて、結局どれも中途半端になってしまう。
まあ、お陰で家の周りも多少片ずいて、エンデングノートも乱雑ではあるが書く事が出来た。
遅れに遅れた半年毎の歯の定期検診もすませた。


昭和27年(1952年)歯科医院は徒歩圏内に2軒しかなかった。
虫歯になって我慢出来なくなって行った歯医者が元軍医だった、乳歯だったので治療もせず、
即抜歯してしまった。
今ならレントゲンを撮って確認してから抜歯するだろうが、乳歯の下に永久歯がなかったので、生え替わらず抜けたまま何年も経った。
当時は医者も乱暴だったが、患者も医者に診て貰うのは、余程の緊急事態の時で痛くなったら自分からすすんで歯を抜いて貰う輩もいて珍しい事でなかった。
現代の高齢者と比べると実年齢が若いのに当時の男性、女性は歯が欠けている人が多く老けて見えた。


歯科医の先生には50数年以上診て戴いている。
最初に治療を受けた時、私は25歳になっていても抜歯のままだった。
『抜けたままにしていると、噛み合わせが悪くなる』との事でブリッジをして貰ったのが左下の歯で
現在に至っている。
今は先生も好々爺になられて穏やかだが、事、歯を守る為の信念は健在で、いい加減なブラッシング
をしていようものなら、診察室中に響く雷が落ちる。
そして生きている間、自分の歯で噛んで食べる事が如何に楽しいか大事かを聞くのだ。
診察室には治療台(いす)が6台あって患者は6人エプロンをかけて治療を待っている。
みんな自分の番をおっかなびっくりで待つのだが、たいがい雷が落ちる。
怒られても怒られても自分の為に怒って下さっているのがわかっているので、懲りもせず通院する。


今回の診察で先生が歯を数えられたら24本あった。
他所に住んでいた10数年の間に前歯の一本を失っているが、この先生だったら歯を失う事がなかっ
たろうと思う。
『この2年間で4本歯を失わなかったら『8020運動』に合格だね』とおっしゃる。思わず『先生のお陰です』と言うと『僕だけが頑張っても出来ない、あなたも努力したから』とおっしゃった。
40歳後半から60歳まで働き詰めだった頃、歯茎が度々腫れた、多い時は毎月だった。
その都度駆け込んで治療してもらっていた。
毎度先生の雷が落ちるが、歯の周りをきれいにして下さって、先生自らブラッシングの指導をされる。
腫れが酷い時には薬を飲む事もあったが、腫れが引くまで歯科衛生士とブラッシングの練習をして治した。
先生のご指導がなかったら今頃歯肉炎、歯槽膿漏を患っていたと思う。


帰りの会計の時、三ヶ月の定期検診に変更してもらう。
レントゲン写真を見ながら先生が『あなたは、意外に土台が良い。入れ歯が合う、土台が悪いと入れ歯で苦労する、、、』とおしゃった。
入れ歯の費用って、保険が効いても半端じゃあ~ない、定期検診の回数を増やそうと思った。
帰り道、人生は皮肉なもんだと思う。歯が良くても食べられない病気になるなんて、、、。