puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

雑感(お盆-3 )



お盆も過ぎて少しは涼しくなると思いきや、いきなり朝、目が覚めると寒くて冬物の肌着や上着、ズボンを出して着る。夕方になると暑つ~い。 
台風が日本列島を通過すると一日中テレビから注意を呼びかけている。
蒸し暑くなると2~3年前頃から耳がふさがった様な、詰まった様な症状が出る様になった。
初めはエレベーターに乗ったり、雨の日に車に乗っている間に限り症状が出ていたが、最近では雨が降りそうな気配があると症状が出る様になった。
ちょうど飛行機に乗った時に耳が詰まるあんな状態かな? 飛行機の場合数分で終わるが数時間~半日
そんな状態が続くとこたえる。
自分の声が頭の中で(?)反響して、自分が発している声の大きさがわからなくなる。症状で悩みながら人と会話する事が苦痛になる。
段々こうして歳を重ねていくうちに耳が遠くなって、人と話をする事もなくなっていくのかな?。


後期高齢者』と、よくぞ言葉にしたものよと感心する。賢い人が考えたに違いないと勝手に思う。
75歳以上の領域に入ってから、それ迄経験した事のない様な小さい~大きな変化が身体全体にあらわれる様になった。
早くから断とつに気ずくのはやはり頭髪だろう。目に見えるから認めざる得ない。
だが目に見ない部分、例えば神経、筋肉、骨や臓器などは何らかの変化があっても気ずくのに時間がかかるし、あったとしてもなかなか認めたくない、、、等で見逃していたのだろうか、気が緩るんだのかもわからない。
私は75歳を越えてからの数年間、次から次と考えもしなかった変化、症状に戸惑っている。
自分はこんな体質だったかな?と思うが、記憶がないから何ともし難い。
歳を重ねる事は悪い事ばかりでない。記憶がないし忘れるが重なって思い煩う事が少なくなった。
指摘されても余り責任を感じないし、なる様にしかならないと思う様になって『昔は小さい事に気が付いて大きい事が抜けていたが、今はノー天気になって、、、』と言われる様になった。


時節柄お盆になると自分が亡くなった時を思う。父がくれた墓地は山の中腹にある。
樹木葬を希望していたので10年以上前、業者に頼んで山桜を植えてもらった。
植えて一ヶ月後、業者が山桜の様子を見に行った時は元気だったらしいが枯れてしまった。
その後、時期は覚えていないが直接買いに行って丈夫そうな渇水に強く痩せた土地でも根ずくと言われた品種の桜を2~3本植えたが、又枯れてしまった。
テレビのドラマの中で死体を埋めた土地に花がきれいに咲いているのを何度か見た事がある。
樹木葬は前もって植えるより、亡くなった時が植え時なのかなとも思ったりする。


初めは『献体』を本気で考えていて署名するばかりになっていた時、お名前だけは知って居た知人が
献体』されて3年ぶりに自宅に帰って来られた。
それから改めて葬儀が行われた。これには正直驚いたし、大学病院の解剖は3年間は順番待ちと聞いて更に驚く。
私は生きている間、人の為に役に立つ事を何もしなかった。せめて『献体』でもと思ったのだが、、。
私は亡くなった時、絶対身内にお世話になる。
3年間は長過ぎる。改めての葬儀は大儀だ、お世話になる人達に迷惑になる。
私の場合はタイミング的に向かないと思って『献体』は辞めた。


私の母は父が亡くなって、焼却場の係の人が『のど仏だけお持ち帰りになる御家族もあるし、骨壺一つになさる御家族もあります』と止めるのを聞かず、『お父ちゃんが可哀想、、、』と言って全部持って帰って骨壺は二つになった。
後年、母は骨壺二つは多過ぎたと話していた。
私は樹木葬を希望していて、情報を集めるが何せ人に絶対頼む訳だし、長年『ああ、でもない。こうでもない、、、。』と逡巡していたが、やっとこのお盆の間に決める事が出来た。
墓地に散骨をしてもらう、散骨用に粉砕してくれる業者が結構あるので安心した。
すごく気が楽になった。
後は断捨離だが、これが一番憂鬱だ。もう何年もやっているのに片ずかない、本当に飽きる。