puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

雑感(お盆-1)



今年の暑さは異常?、摂氏37度を超える日があった。お盆以後も猛暑が続くと言う、何たる事!。
午前中にしなければならない必要最低限の家事、通院をして午後は何もしたくない。
若い頃は頭や顔から汗がポタポタ落ちたり、汗で肌着が濡れた様になる事はなかった。
歳をとって体質が変わったのか、気候が変わったのか、いずれにせよ難儀な事で、、、。


猫達は毛皮を着ているから可哀想と猫達のせいにして28度Cなったらエアコンをつける。
ところが猫達はそれぞれ風通しの良い場所を見つけて、身体の全表面に風を当てるためか身体、足の先のポーの指まで広げられるだけ広げて、ひたすら寝ている。
エアコンをつけるのは今の生活で一番贅沢だ。勿体ないと思う。エアコンを必要な時だけつけたり消したりしたい。つけたり消したりすると電気代が高くなるらしく不承不承、寝るまでつけっぱなしだ。
ああ~勿体ない。昔は熱中症ってあったかな? 日射病は聞いた事があったが、そんな事で人が亡くなると聞いた事がない。


小学6年生(昭和26年)の夏休み臨海学校に行った。
すぐ下の弟が亡くなった頃からだと思う、学校から父兄当ての書類を殆ど自分で処理し捨てもしていた。
たまたま臨海学校に参加させるか否か、保護者の任意である旨の書類らしかった。
臨海学校、任意の意味も知らず学校の提出書類を何時もの様に両親に内緒で勝手に提出したのだ。
私の父は、とにかく私と弟を悩ませた。
小学校の入学式から始まって参観日、学校行事に必ず父親が来る、その頃は父親が学校行事ならともかく普段の参観日まで来るのは珍しいよりも、まずなかった。私は嫌で嫌で仕方がなかった。
そのくせ、成績で両親から怒られた事は全くなかった。
今でも思う、どうして参観日などを知って居たのだろう?。
弟の大学の入学式まで出席しようとして両親揃って上京して大学の正門の所で、弟が先に走って行って置いてけぼりにあったらしく、両親はかんかんに怒って帰って来た。
父兄席と入学生席は離れている筈?。並んで座りたかった?。


臨海学校の集合場所に行くとクラスから○さんと私の二人だけの参加だった。
保護者の提出書類で失敗は結構あったが、その時は呆然とした。更に○さんに会ってびっくりしたなあ~、もう。
学期初め欠席をした翌日、グループ学習で引き取り手のない○さんと私ともう一人男子の△君の三人でグループが結成されていた。○さんはほとんど話をしない。
臨海学校では顔見知りは二人だけ、話をしないと何も出来ない。自由時間になって『見る?』と彼女が鞄を開けると漫画の『サザエさん』がぎっしり!。
もう『天にも昇る心地」とは、正にこの事。踊れるものなら踊り出したい、気持ちを抑えるのに、、。
当時ぼちぼち本、雑誌らしきものが流通しはじめて、家が医者、くすり屋、質屋の子供達が月刊雑誌を学校に持って来て、皆な群がって見せて貰っていたが、普段の貢献度の高い順らしかった。
私は本が好きで雑誌なるものを一度手に取って見たかったが叶う筈がなかった。
サザエさん』は、当時珍しい和洋食のレストランを経営していた彼女のお父さんのお土産だったそうで、未だ地方では手に入らなかった。事情は後で知った。


サザエさん』の第一巻から私は虜になった。
『こんな事、あるある、、、』『こんな人、ありあり、、、』実生活で体験している事が再現してあった。
親しみと笑えるおかしさと微妙に心に残る同感と、サザエさんの家庭の穏やかな雰囲気が素敵だなと思ったし憧れもした。
私の家は明治と大正の時代がしっかり残っていた。言葉で上手に表現出来ないが、両親が若い頃はピリピリした雰囲気があって気が休まらなかった。
高齢になって人恋しくなったのか多少性格が丸くなったが、それでも『サザエさん』の家庭の様にフランクにも男女平等にも、民主主義にも縁がなかった。
私の家は極端だと思うが、実際どの家庭も暗く似たり寄ったりで漫画の中の話とわかっていた。
1970年(昭和45年)大阪万博のあたりから、地方でも親子関係、夫婦関係にフレンドリーな会話をする家庭を見かける様になったと思う。
父親は寡黙で機嫌が良いのか悪いのかもわからない、思っている事すら何ひとつ伝わって来ない。
私は人間でも動物でも思っている事を言葉や態度で表す方が好き。
うちの猫達はおしゃべりで、態度で気持ちを表すから、なおかわいい。