puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

定期検診(2 )



普段は忘れたい、忘れようと日々過ごしているが七夕が近ずくと、とてもじゃあないが呑気に過ごせなくなる。検診の結果次第で、、、。
あの日、何の前触れもなく穏やかな空間の中でドクターから告知を受けて『とうとう、来るべきものが来た。』の感じだった。 また冷静な自分が不思議に思えた。
診察室にはいつもドクターの側にいる筈の医療秘書、看護士はいなかった。
病棟に帰って看護士達に会うと立ち止まる暇もないばかりに忙しそうだ。
ナースステイションの前を通ると、気のせいか一斉に皆忙しそうに動き出す、まるで映画を見ている様な感覚だった。看護士が病室に来る時は2~3人連らなって来る。何か?
ドクターやスタッフの誰もが気遣ってくれている様な雰囲気で、大変な事になったのでは?と気付いた。一刻も早く家に帰って、インターネットで癌について詳しい情報を得たかった。


退院しておよそ半年間、図書館で自分に関係ある癌の本を読みあさり、時間を惜しんでインターネットでも検索をする。
普段は立ち読みで本は先ず買わない。店頭に並ぶ新刊の本の方が最新で詳しいかと思えて今買わないで何時買うの?の気持ちが勝って高価な本を買いまくった。
『溺れる者は藁をもつかむ』の心境だったと思うし、日本人の2人に1人が癌になる時代になったと聞いていたが、自分の身に及ぶとは考えてもいなかった。
知識は全くなかったし、市報のがん検診のお知らせに関心も持たず、検診を受けた事がなかった。 
探して、読んだ、調べたの半年間余り、起きている間は癌にどっぷり浸かった生活を堪能(?)して飽きてしまった。
結論『私自身は何一つ出来る事はない、なるようにしかならない』と言う事がようくわかった。
つきものが落ちたとは、この様な事を言うのだろうか? 
すっきりして癌そのものは私を悩ませる事がなくなった。最近は癌の事は無視もせず関わりもせず普通に過ごしている。


4年前、ドクターが手術中にたまたま癌を見つけて内視鏡の手術をして下さった。
執刀のドクターは専門外だったので改めて紹介頂いた主治医のドクターは医学の分野では知識、経験、治療、手術の症例数においてオーソリティーであられる。
一年一回の定期検診の結果次第で、手術又は抗がん剤の治療、放射線の治療、、、などの提案がドクターからあった時の事を思うと胃が痛くなる。無力感で途方にくれる。
いつか、こんな日がくると思っている。必ずくる。
主治医のドクターは私の癌にとって最適の治療方法を考えて下さると確信している。
なのに私は自分の病気に対して考えている事、生き方をお話しして納得したいのだ。
ドクターと有意義な話し合いが出来るだろうか?自分の気持ちをドクターに十分に伝える自信が全くない!。どうしたらよいのだろう?
長い闘病を覚悟する為にも自分の気持ちを言葉にしてドクターに伝えなければ、ああ~一生のうちで一番難しい。
今まで自分の気持ちを伝えなければならない場面、時は数多くあった。
思う事、伝えたい事は沢山有ったが、いざとなると相手の立場や相手の気持ちをおもんばかったり、自分が良く思われたい、自分が責任をとりたくない、トラブルを避けたい、、、等、つまらない見栄やプライドで中途半端な伝え方ばかりして来た様に思う。
私は潔くなかった。
この年になって反省、後悔しているが中途半端な伝え方は相手にとって時間の無駄、ただの要らぬお節介で、むしろ害になった。私に関わった人達には本当に申し訳ないと思っている。


細胞診断は毎回数日かかるので結果は未だ出ていない。症状が進んでいたら電話がある。
今回、ドクターから『あなたは確かに癌です。おとなしい癌です。、、、、』とお話があった。
ドクターの真摯な態度とお言葉を思うと、私は言葉に出して上手に自分の気持ちを伝える事が出来なくとも、正直にありのままの気持ち、考えを精一杯、わかっていただける様伝えたいと思う。
いつかドクターから提案があったら、もう逃げたくない、後悔もしたくない。
来年の七夕に五年目の予約をして帰って来た。