puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

今以上これ以上、、、(7 )



少し小雨になったら出かけねばと思いながら待っているが、小雨どころか激しくなる一方だ。
こんなに音を立てて雨が降り続くなんて、頻繁にあったかしら?
そう言えば、植えたばかりの稲は大丈夫かな、水が少なくても多くても難儀な事で、農家の心痛は如何に、、、。
私の家は農家でないので記憶が確かでないが、農繁期(田植えや稲刈り等で農作業が忙しい時期)になると学校が休みになった。
農繁期になると農家は正に『猫の手も借りたい』状態で、赤ん坊、病人以外老若男女、馬も牛も総動員で働いていた。
農家によっては馬や牛を飼っていて、馬や牛は自家用がすんだら他の農家に貸し出されたものだ。
農業の機械化が進んで、学校の農繁期休暇がいつの間にかなくなったのだろう。


子供の頃は雨降りは嫌いではなかった。母は青い紫陽花が好きで、紫陽花の周りに鉄の棒を刺して青い花が咲くと言っていたが、そのせいかどうか青い紫陽花が咲いた。
特に梅雨のしとしと降る雨の中で咲いている青い紫陽花を見れるのは楽しみだ。
雨が降るとメランコリックな気持ちになる。誰にも邪魔されず読書に没頭出来たし、時には想像の世界がより深まって感極まって号泣したりして、いつまでも飽きる事はなかった。
当時は辛うじてラジオがあったが、雑音が多くて子供の手に負えなかった。
テレビ、ゲームのない時代で、むろん塾、お稽古等もなかった。


雨が降ると傘、履物がないので、誰も遊びに出かけたりしない。
戦後、ズックを履いている児童は滅多にいない。下駄かわらじなので雨に濡れると材質が弱く切れたり
破れてすぐ履けなくなる。だから雨の日は裸足で通学、昇降口の側に足洗い場があった。
番傘は所々裂けて来て濡れる様になったら、お終いだ。
戦後作られる生活用品は、先ず材料が不足して手に入らない。だから売っている物は粗悪極まる。
特に番傘は使い初めから壊れる。番傘の材料の油紙が裂ける、糊が剥がれる、本当に泣ける。
小学6年の時、友達がこうもり傘で通学して来て、こうもり傘のとにかく濡れない、破れない仕様に感嘆して下校時間もそこそこに走って家に帰った。
私は両親に物をねだった事がなかったが、こうもり傘だけは何としても欲しかった。
毎回ずぶ濡れになって登下校するのも授業を受けるのも嫌で嫌で仕様がなかった。
母にこうもり傘の話をすると、次の雨降りに間に合う様にこうもり傘を買って貰い、びっくりもしたし嬉しかったなあ~。