puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

今以上これ以上、、、(4 )



一昨日いつもの様に草取りをしていたら、ズボンの裾から虫が入ったのかチクッとして痒くなったので、液体虫さされの薬を塗って,いつまでも痒いと思いながら放って置いた。
昨晩、浴槽に浸かりながら足を見ると真っ赤な大きな梅干しが張り付いた様になっている、何これ?、、、。 風呂に入ったばかりなのに患部を暖めると良くないと、急いで風呂から上がる。
電灯の下でしげしげと見ると、真ん中に鉛筆の芯みたいなのがある。これがひょっとして『だに?』
『だに』だったら,素人が触って身体の中に『だに』の一部分でも残ったりしたら,大変な事になる。
気色が悪いがお医者様に診て貰うしかない。
今朝は、皮膚科で一番に診察を受けたいと朝早くからバタバタ忙しかったが20分ばかり草取りをして出かけた。お医者さまはこの状態では軟膏だけでは治らない、飲み薬を併用する事。
また鉛筆の芯みたいなのは虫が刺した跡が時間が経って黒くなったものだと、やれやれ、、、。


先週末から、普段以上何もしない。何もしたくない時、無理に何かすると碌な事がない。日中ダラダラ、
夕方になって、ようやく起き上がって夕食に何を食べようかと冷蔵庫の中を覗いていたら、冷蔵庫が壊れたみたい? いつ? どうして?。
眠気、身体のだるさが吹っ飛んで,冷凍庫の物を出す。2ドアの小型冷蔵庫の冷凍庫の部分を使っていたのが、殆ど中の食材は解凍してしまった。勿体ない、廃棄なんて考えられない、考えるより手を動かす。
共同購入の特売のキノコ類(買った時、すぐ料理用にカットした物)、枝豆、ほうれん草、鶏胸肉、
しらす干し、ミックスベジタブル等。
キノコのマリネ、枝豆(そのまま),チキンハム,チキンフライ、ミックスベジタブルのかき揚げを作る。ほうれん草はクタクタになり過ぎたので、再冷凍してニョッキにしよう。
先週テレビ『世界のスーパー主婦』の番組で、イタリアの主婦がほうれん草でニョッキを作っていたので、後日真似て作ってみよう。


満75歳を境に,やる事なす事大袈裟、大仰になった様に思う。ムカデや蜂,ダニに刺された訳でもないのに、たかが蚊か、ブヨかに刺されて見た事のない患部を見た時は自分の身体に何が起ったかと思う。
驚かされる。
これでは,うっかり転べない。転んだら最後。骨折して寝たきりになったりして、、、。
今日銀行の帰り道で、乳母車を押して歩いているおじいさんに出会う。おじいさんの乳母車は珍しい、勇気を褒めてあげて、自由に安全に歩ける様になりますねと声をかけたかった。
私自身が乳母車を押して歩きなさいと勧められているのだ。安全だし買い物も出来ると言われる。
乳母車を押して歩くのは勇気が要る、まだまだ大丈夫と思いたい,見栄もある。困った者よ。


来月は清掃月間で町内あげて参加する。とても皆のペースで働けないので担当の区域内の草取りも20分ずつ毎日している。来年の清掃作業の草取りは出来るかな?誰か代わりに頼まないといけないなあ~。
子供の頃、数週間置き位に決まった浮浪者が勝手口に現れていた。
母に『何か仕事を下さい』と頼むのだ。母は薪割り、高い所に上る樋の掃除や、溝掃除など男手のいる力仕事を頼む、季節の大掃除なんか前もって頼んでいた。
お礼は竹の皮におにぎりとおかずを包んで、幾ばくかのお金を持たしていた。
戦争が終わって、復員兵、傷病兵、海外居住者等の帰国が集中した数年間は、職場,仕事の数が圧倒的に少なかった。
帰国者は着のみ着のまま命からがら帰国した人がほとんどだ。
その上、頼って帰る故郷も,親兄弟等肉親をなくした人達も多かった。浮浪者にならざる得なかったのだ。
帰る家もなく何日も風呂に入っていないかの様に顔も身体も汚れていて、髭、髪はボウボウにのびて帽子は被っているが埃まぶれで,洋服、ズボンは破れたままぶら下がっていた。
靴は開いたままだ。でも怖い印象はなかった。一生懸命働いていた。
今ならさしずめ便利屋さんかな?
暮らしには電球を変えたり重い荷物を移動したり,大小の男手のいる仕事が多々あるが、最近は簡単に
頼めない,不自由だが、仕方がない。