puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

誤算だった?。( 9 )



今月(2016年4月)14日に熊本地方で震度7を観測した地震が発生して以来、テレビで見る被害の大きさに驚いています。余震の回数は増えておさまりそうもなく、被害の範囲が広がりつつある様に思えて一体どうなっているのだろう? 一時も早い終息が待たれる。
被害に遭われた方々の心痛、疲労をお察し致し、心よりお見舞いを申し上げます。


少し暖かくなった頃から(たぶん2月)雨があがった翌日から数日間、横の道を朝7~8時草取りをする。
2~3年前まで、二人の高齢の男性が代わるがわる草取りをしているのを見かけたが、好きで草取りをしているのかと思って居た。
ところが、二人の男性が続いて亡くなられて誰も草取りをしなくなった。一昨年は草がぼうぼう生えて夏には腿の高さまで大きくなったので、ようやく二人の高齢の男性が見かねて草取りをしていたのがわかった。
大きな草から引き抜こうとしたが、全く力不足で草は動きゃあしない、諦めて冬の枯れるのを待った。今年になって手こずった草を雨上がりで雑草の小さいうちにと、スコップを深く突き刺して根削ぎ取る作戦でやっている。
雑草は強い、地上に出ている部分より地下深く、また横にも広がった根の数の多さ、長さは半端ではない。これでは大きくなっての草取りは、出来ない。
名もない雑草ほど成長が早くて力強い、雨上がりを待っていては私の手に負えない。仕方がないので雨上がり寸前に手こずる雑草にねらいをつけて取る様に、こちらも少しは賢くなった。


雨の日以外毎日草取りをしながらも、お金の事を考えている自分に気が付く。20歳半ばからお金の事ばかり考えていたので習い性になったのだろう。
でも冬が来るまでに風呂場の暖房器のお金を用意せねば、、、。
空気を吸って座って居るだけで、何も食べないでもお金が要る。公共料金、医療費、、、など。
転居して来た町内で、初めて『国民年金制度』を知った。
この町内は町内会費と一緒に年金を班長が毎月集めていた。
国民年金制度』を知らないから加入してなかったので勧められて加入した。
私が国民年金に加入したのは、40歳前、当時任意加入だった。(当然、満額受給ではない)
老後の生活を想像出来なかったが、働く事が出来なくなった時の生活は容易に想像出来た。
私自身、当時の生活は貯金のない暮らしで働いたお金で先月の借金を返して、また今月の借金を来月に返す自転車操業で、先の見えない生活をしていた。
自分が政治や経済に無関心過ぎた結果、『国民年金』は少ないのは仕方がない。
貧乏は貧乏でも自分が働いて得たお金は、私に勇気と希望を与えてくれた時期もあったし私自身良い方向に変われたので良しとしよう。


『生活と政治は直結する』の言葉を聞いた時に衝撃を受けたが、時間が経つに連れて、私が何故『国民年金』の言葉すら知らなかったのかを思い出したい気持ちになった。
調べてみると昭和36年(1961年)に『国民年金制度』が実施されている。任意の加入だった。
当時私は20歳前後だ。我が家は自営業に関わらず『国民年金制度』の話は家族間で全くした覚えがないが両親は加入していた。不思議だ。
テレビは白黒だが一応あった、今の様にテレビで『国民年金基金』や『マイナンバー』の様に報じられたのかも知らない。市報か、回覧板はあっただろうが関心がないから見ていない。
20歳前後の友達同士と言っても、大体同じレベル(?)だから『国民年金』の話は問題外。
任意加入だから、勧誘も緩やかだったのだろうか?。
平成3年4月、20歳になったら『国民年金』は強制加入になった。この時は随分報じられたので、殆どの人が20歳になったら加入と知ったと思う。
何時の頃か『国民年金』を扱う機関で不祥事?があって私は自分の年金を調べて貰った事があった、初めて受給資格(納入期間25年)が必要と知って、危うくアウトだった。
危うくアウトだった話を美容院でしたら、実際に受給出来ない人達が結構居られる話を聞いて更に驚く。例え一ヶ月でも足りないと年金は受給出来ない。
知ると知らないではおそろしい違いだ。最近は受給年齢が引き上がる話もボチボチ、、、。


父が70歳以上で医療費が無料だったのに母が70歳になったら医療費が一部自己負担になっていた。
母がいなかったら私はおそらく自分が70歳になれば医療費が無料と信じて居たかも知れない。
大半の人の老後生活は年金を中心に成り立っていると思うので、変更、廃止は人生設計に支障をきたす場合も無きにしも非ずだと思う。
歳をとっての変化は身体的、精神的、特に金銭的にきつい。
選挙権が18歳に引き下げられるが、同様に少子化対策、教育制度、医療、年金や介護など直接生活に関わる諸制度の制定、変更、廃止を若い時から周知徹底してほしい。
願わくば選挙の際の熱心な連呼の様に、直接生活に関わる事や自己責任が増える制定、変更、廃止する事は一時期だけでなく、常に周知させる工夫をお願いしたい。
勝手すぎるかな? 見たり聞いたりしても忘れるのは私だけかな?
自己責任は高齢になって身に沁みても如何ともし難い。辛いだけ。
自己責任は若いうち,早い段階から懇々と事ある毎に言われ続けなければ想像も理解も出来ない。

先日の番組のコメンテイターが、『自分の生活をする為に、自分の生活を守る為に選挙に行こう』は
至言だと思う。
そして『政治が生活を決める』とも発言された。この事は高齢者になって実感する日々だ。
自分から動いて発信しないと、何も得られない事が、余りにも遅過ぎたが、ようやくわかって来た。