puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

誤算だった?。( 8 )



この期に及んで思うと、後期高度経済成長期(1966年~1972年)だったので『70歳以上は医療費が無料』の制度が実現したのだろう。
当時、素晴らしい制度と感動もしたし本人、家族はとても経済的に助かって感謝もした。
私の仕事では貯金は到底出来なかったので、父の入退院でこの制度の事を知って老後の病気については安心と思い制度が続く事を願ったが、同時に漠とした不安が残った。
制度が廃止になったと知った時、国民の人生設計に関わる制度がいとも簡単に廃止になる事に驚かされたし、非常に落胆もした。一方では止むを得ないとも思った。


戦後、私の家も近所の家にも赤ちゃんが次々に生まれた、いわゆる団塊の世代の誕生だった。
私達の年代は子守りをしながら遊ぶのが普通だった。
私は弟が居るので彼らの成長の過程を少しは見て居たが、何処に行っても彼らに出会ったし、彼らは集団で行動しているのかと思うばかりにいつも連なっていた。
団塊世代の教育施設、環境の密度の濃さと言ったら、大変で、、、。
団塊の世代を含めて国民にとって、この制度『70歳以上は医療費が無料』が維持出来るだろうか?と思った。
案の定、何年かで廃止になった。
両親の年齢以上の人の時代は医者、病院の多い都会を除いて簡単に医者の診察を受けられなかった。
病院の規模も数も少なかった。
想像出来ないだろうが、住んでいる場所によっては、臨終の時になって最初で最後の医者の診察を受けた人の話は結構あった。普段は民間療法や置き薬で対処していた。
私の子供時代は風邪をひいて熱が出ると、家族にはなくて病人だけ特別に缶詰めのみかんか、白桃や卵入りのおかゆが食べられた。お腹をこわすと、リンゴのすり降ろしたのが食べられる。
普段、口にする事のない果物や卵を病人だけが食べられるので、病気になって得をした気分で嬉しかったのを思い出した。安静第一なので学校も休むのに飽きる位欠席が許された。
大人は卵酒を飲んだりや青ネギを食べたり、ニラのおかゆを食べていた。
耳や皮膚がただれても、歯が痛くなった場合でも、あやし気な野草、薬草を煎じたり蒸し焼きにして貼ったりしていた。何処の家も似たり寄ったりの対処方法だったと思う。
余程の重病人以外病院に行ったり医者に診て貰う事は、先ずなかった。
今の時代では、大学病院をはじめ個人病院が身近にある。
国民皆保険制度(1961年)が出来たお蔭で、具合が悪い時は病院で診察を受け治療に専念出来る。
その点を思えば良い時代になった。