puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

運の良い人,運の悪い人(1)



テレビはつけっぱなしの事が多い、予定が無い限りNHK朝の連続ドラマとアサイチは見る。
アサイチは身近かなテーマや話題を取り上げるので,役に立つ,便利で実用的。
又、三人の司会者とゲストの短いやり取りやコメントが重たくないから,朝らしく楽しい。
今日、アサイチで『運の良い人,運の悪い人』をやっていた。
私は自分では運が良い方だと思っている。滅多に言わないが、何かの拍子に周りの人(極親しい人)には『私は運が良かった』とか、『私がみんなの運を使ったのかも?』と言う事がある。


人に確かめた事はないので断言は出来ないが、『運』には人数分の『運』の考え方があると思う。
私の場合、先ず『運』と言えばお金から始まる。
私はお金と『運』は多少繋がりがあるかもしれないが、あえてお金と『運』とは別々に考えたい思っている。
私がお金がなくて困った話なら事欠かない。でもお金がなくて『運』がないと嘆いた事は記憶にない。
忘れたのかなあ、、、。
1964年だったと思う(東京オリンピックが開催された前の年),山陰の地方都市ではまだ50万円あれば,町の中心で庭付き一戸建ての小さな家が買えた。大卒の初給で諸費引かれて手取り一万円なかった時代の話。
おかしな話だが実家を出て、はじめて電気代、水道代、NHK受信料など毎月集金人が来るのを知った。
私はお金の値打ちも有難さも知らなかった。家を買える程の持っていたお金を,必要だ,必要だと出していたら、半年も経たないうちに手元不如意になった。
実家に帰るバス代を残すと、払えるお金がなくて居留守をした。集金のおじさんが玄関の前を行ったり来たりする気配を感じながら,部屋で息をひそめて屈んでいた。
暗くなって八時に灯りをつけたが、集金人が、又戻って来ないかと胸のドキドキが治まらなくて、、。
集金人は一人,二人ではない。 しかも毎月だ。
集金人を困らすのは嫌だ、罪悪感と後悔する事は止めようと思った。
それから昼食を抜く様になって,それでも足りなくて夕食も抜いたりしたが、焼け石に水だった。
当時米、酒、醤油、酢,味噌、塩、砂糖,野菜、魚、肉など、、、ほとんどが量り売りだった。
山陰は魚中心だから肉屋に縁がない、はじめてハム二枚量り売りで買った話をして両親を仰天させた。
米を毎度同じ店に一合ずつは買いにくいので、米屋を変えながら遠くの店にも行った。一日がかりだ。



町の郊外の家で誰とも会わず語らず、前の川の景色ばかり眺めてお金の事ばかり考えて暮らしていた。
不思議な事に食事を摂らなくともお腹が空く感覚がなくなって、無表情になっていく自分がわかった。
人間はコミニュケーションがないと希望も活力も生まれてこない。
次第に将来が見通せなくなっていった。
お金がないのも辛いが、自分が持っているいろんな感情や思いをコミュニケーション出来る相手が居なかったのが一番辛かった。
実家に帰ったら即入院だった。両親は何も聞かなかったが,すべて察した様だった。
私からも一切話さなかった。
見知らぬ土地で他所のお宅の事情を知らなかったので、比較する事もなかった。
だから、ないないずくしの生活が出来たのかもと思う。 
私が働ける様になる迄に10年余りかかった。


とりあえず仕事は何でも良かった、お金が必要だった。10年余りの生活から脱出したかった。
周りに働きたいと言ったら,すぐ仕事先が見つかった。
周りに私を気に掛けてくれる人達が居て『運』が良かった。
特技があるわけでないので、当然収入は、、、。
自分で働いたお金は私自身を解放してくれた、自由に考える事が出来る様になった。
自分で働いて得たお金の素晴らしき哉!。
私は仕事をする事が楽しくて、二つ,三つの仕事を同時にした時期もあったが,支えてくれる人達がいて『運』が良かった。
あの10年余りの孤独でお金のない生活が私を変えたし、あの生活を経験したからこそ少々の困難も何とかなるとの思いが今の私を支えている。
よくよく考えるとあの10余年が『運』をもたらしたのかな?。だんだん、そんな気がしてきた。