puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

雑感(映画『奇跡』)



『奇跡』  監督 是枝裕和   主演 まえだまえだ  オダギリジョー 他
この映画を見ていると普段、子供時代に返りたいなんて思った事もないのに『子供の頃は、良いなあ~』と思ってしまう。私の憧れた『子供の頃』とは、この映画にでて来る、主演者を中心とする子供達の言動や自由な発想や空間だ。
離婚した両親を心配する主演のまえだまえだの兄弟が醸し出す雰囲気や風体があたかも役柄と実物が重なって見える様で、おかしく絶妙で、オダギリジョーのあっけらかんとした父親と、懸命に働く母親がいい味を出している。
現代の多様化した家庭の一端を見る様で、しかも健全な心の持ち主達の映画で楽しめた。
実際に会った事はないが、子供は映画の中のまえだまえだの様によく食べてよく遊んでよく寝るのが
一番だとつくずく思う。


映画を見て『家族とは一体何だろう?』と思う。私から上の年代の人達の親は明治、大正生まれが殆どと思う。(後記は私だけの経験なので総ての家族、家庭の話ではない。)
『家制度』をしっかり身につけていた父方の戸主である祖父は気難しかった。
戦後、住宅事情が悪く困って、やむを得ず一時祖父の家に同居した事があった。
事情が事情なのに祖父と父とはそりが合わず半年が限界で、私達家族は祖父の家を出た。
祖父に懲りた筈の父親はどうかと言うと、戦争が終わって民主主義の社会になったのに関わらず、しっかり明治時代の『家制度』の戸主の思想を受け継いで、家族(父、母、私、弟の四人)に『女、子供は黙って付いて来い』方針を死ぬ迄変えなかった。


父は要らない事は一切言わなかったが、要る事も一切言わなかった。お酒、煙草は嗜まなかった。
何が大変かと言えば、父が望んでいる事、思っている事、考えている事、困っている事、、、、等一切わからないのだ。
母もわからない様だった。(母は父より11歳年下だった。)母の気苦労も如何ばかりか、、、、、。
極端に言えば、家中が父の顔色を窺いながら暮らしていたと思う。
父が居ると、なるべく離れて、話さない様、笑ったり騒がない様にしていたが、後年聞く所によると、そんな私を見て父はイライラしたらしい。
子供の私は私で父が、何を考えているのか、機嫌が良いのか、不機嫌なのかもわからなかった。
取り付く島もない気難しい印象しかなかった。
しかし、父は全く話さない人ではないらしかった。檀家の総代が『困っている人が居るから相談にのってやってくれ』と我が家を何かと言えば訪ねて来て、結構人の出入りはあった。
相変わらず、ただ父は、黙って人の話を聞いているだけに見えたが、、、。
父が亡くなって総代の人が『あんたのお父さんは、よう人に騙されて、住職もわしらも呆れとった。
でも人を騙す事は絶対なかった。あの偏屈な住職があんたのお父さんには一目おいていた』とおっしゃって、、、家にいた父と外の父では違う面があった様だ。

私には10歳年下で次男の弟が居るが、最近、何かの時『うちの家庭は、暗かった、、、』と言ったのを聞いて驚愕した。
長男の弟が病死して以来、次男の弟は、家族の寵愛を一身に受けて育ったと私は思っていて、性格的に弟に暗い面がない事に安堵していた。弟には大勢の友達がいて友達のお宅に出かける事が多かった。
おそらく他所の家庭の雰囲気を感じ取って、自分の家庭と比べたのだろう。
『目上の者に対して口のきき方を知らない』とか『親に対して、そんな口のきき方をするのか?』と言う言葉を聞いた様に憶えているが、どんな場所で、どんな場面で聞いたかさっぱり記憶にない。
父や母に口答え出来る雰囲気の家庭ではなかったと思うが、、、。
対応する仕方を教えられた憶えがないので、私が聞く耳を持っていなかったのだろう。


私は実家を出る迄、物質的、金銭的には困った経験はなかったが、家庭内での自分の立ち位置に困惑していた様で落ち着かない子供だった気がする.
70歳を遥か越えて思うに、せっかく縁があって親子になったのに、お互いの事を知らなさ過ぎるのは不幸な事だと思えてきた。
明治、大正の時代ならいざ知らず、否どんな時代でも人間である以上、言葉や、態度で自分の思いを表さないと決して誰にも伝わらないと思う。
縁あって家族になった間で格式、形式、、、云々を重んずる事は、一歩間違えればただの『徒労』だ。
今、私があるのは両親のお陰だと思うが、『話さなくとも自分の気持ちをわかって貰いたい』なんて絶対あり得ないと思う。現に私がそうだった。
父、母も淋しい人生だったのかな?そんな気がしてならない。
私達家族4人は歳をとって、それぞれ長い時間と経験を重ねて、ようやくお互いの思いや事情を推察する事が出来る様になったが、だからと言って今更どうにもならない。


西の魔女が死んだ』の中で、孫のまいが魔女のお婆さんに『おばあちゃん、大好き』を連発していた。
その都度、魔女のお婆ちゃんは『アイ、ノウ』知ってますよと応えていた。.自分が愛している事を相手が知っている事が大事なのだ。
『奇跡』では父親、母親のそれぞれの愛情表現が違っているが、『いつも、気にしているよ、愛しているよ』と生活の中で、まえだまえだ演ずる兄弟にしっかり伝わっているのがわかる。
それは両親の離婚を子供なりに受けとめて家族がお互いやさしく思いやる所に表れていると思う。


『家族、親子、老若男女の間で、自分に取って本当に大事な人には、自分の気持ちを自分の言葉と態度でしっかり伝えよう。』 私はこの歳になるまで、人と人との間でこんな初歩的な一番大事な事がわからなかったのが残念で残念でしかたがない。