puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

雑感(7月,七夕祭り)



此処数年、7月7日前後は七夕祭りではないが年に一回、大学病院に行く。今年は7月8日だった。
一年に一度だけ『おりひめ(織女)』と『ひこぼし(牽牛)』が天の川でデートをする様な甘い話なら,どんなに良いだろう。
私の場合は検査の結果次第では、担当のお医者様と今後の治療方針について話し合いをする事になるだろう。その話し合いを思うと、憂鬱で気が滅入る。   
だから、普段は考えない生活を心がけているのだが、、、さすが検査の前日になると、そうはいかない。
早朝6時20分発のバスを乗り継いで、タクシーに乗って9時30分過ぎに着いた。
病院だから当たり前だが、病人でごった返している。待合室は、浮かない顔をした老人ばかり、話をしている人なんて居やしない、私を含めて皆、深刻なのだ。
この病院は最後に辿り着く所なんだと実感する。
とても落ち着かない、担当のお医者様に会うとほっとする。
一昔前のお医者様は、とにかく怖かった。とても話しにくい雰囲気があって、症状を説明するのに緊張して、しどろもどろ、言いたい事の半分も言えずに終わっていた。
今は違う、お医者様の方から話しかけて下さるので安心だ、帰りには症状が軽くなった様で、嬉しい。
検査の結果は、異変があれば2週間位で連絡があるが、診断だけでは経過観察なので、帰りはルンルン?
私にとって小康状態を保っていれば十分なのだ。



若い頃から健康に自信がなかったので、『風邪は万病のもと』と思って風邪に気を遣い、体力オーバーに随分気をつけていた積りだったが、、、、。
運が良かったと思うべきか、命に関わる程ではないが結構病気はしたし、手術も憶えているだけでも7 回は受けた。入院は病院馴れしてしまって、日頃の重なった疲労回復と生活のやりくりから解放されて同室の年配の人達の交流を楽しむ事もあった。
しかし3年半前、お医者様から『告知』を受けたのが手術の後で、気持ちが手術の回復に向いていたので、どさくさに紛れて『ついに、自分にも来たか?』とすんなり受けとめる事ができた。
退院して、インターネット、雑誌、体験談等で調べると、想像していたよりも遥かに厄介な病気だとわかったが、如何ともし難い事もわかった。以後調べる事、考える事をやめた。



50歳を過ぎた頃、頭が何となく痛くはないが重たい様な、目がウロウロする様なので、近くのお医者様に診て貰うと高血圧と診断されて降圧剤を服用していたが一向に症状が改善されない。
2~3年通っている間に眼科に診て貰うと眼鏡を掛けたら、目のウロウロが治ると言われ眼鏡をかける。
内科,耳鼻科、更年期の外来まで行って診て貰ったが、症状は改善されないので、総合病院の脳神経外科で診断を受けた。
検査の結果、脳梗塞と診断された。
その頃,お金が必要で仕事を二つも三つも掛け持ちで忙しく、総合病院の待ち時間が惜しかったので、つい近くの個人病院で済ましていた。
思い出すと、脳神経外科にある様な検査自体受けていなかった。
2~3年間無駄にしてしまった。 自分の無知と、自分の怠慢のせいで、誰のせいでもなかった。
以来、脳梗塞が持病になって、薬が手放せなくなった。
管理栄養士の指導を受けて、暫く面倒な献立で我慢していたが、熱し易く飽きやすい性格で続かなかった。
いい加減な私でも、『告知』を無視出来ず、一生治らない病気を二つも三つも抱えて過ごす事は出来ないと思った。
考えた末、脳梗塞の進行、重症化を少しでも遅くする為に食生活の見直しを始めて、3年半になる。



食生活の見直しと言えば聞こえは良いが、早い話ベジタリアンを目指すだけの事だ。
こんな状態になって改めて世の中を眺めると、美味しい食べ物があり過ぎる。
滅多にないが突発的に、無性に食べたくなる時がある。
ラーメンとか、洋風のスイーツ(バター、牛乳,生クリーム、チーズ、卵,ヨーグルト、マーガリン、ショートニング、ラード、白砂糖を材料に使ってあるもの)とか。
食べられないと思うストレスも、どうかなあ~?  だから、そんな時は食べる、無理に我慢しない。
ストレスも過多になると身体に良くないと勝手に思っている。
栄養豊富、おいしい食べ物を食べると、身体の中の癌細胞が喜んで活発になって、分裂、増殖するのではないか? と医学的な根拠もないのに不快になってきて、食欲がおちる。
そんな、こんなで3年半ベジタリアンの真似事みたいな、自分の都合次第の食生活をしている。