puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(!6)



私が言う『昔』と言うのは私が生まれた昭和10年(1925年)代~。
その前の年代の事は聞いたりする事はあっても,実際に私が見たり聞いた事でないので知らないし、わからない。
今の高齢者は年金の種類は幾通りかあるみたいだし、支給額も納めに応じて個人で受け取れる。
昔は、富裕層の人達以外は高齢になると働けないので収入の当てがない。
ちょっとした小銭にも不自由したし、毎日の暮らしにも窮する。
富裕層のお宅の事情はわからない、富裕層を除いた場合の話だ。
頼りにするのは長男か、跡取り娘に婿養子を迎えるか、『取り子、取り嫁』(他の家の子を跡取りとして養子にして、他の家から嫁又は婿を貰う。要するに親と子二人はあくまで養子、1親等の間柄でない。)
だから跡取り以外の子供達は成長すれば自立して家を出て行くか、養子かお嫁に行くかの選択しかなかった。
両親の気持ちは跡取りが結婚するまでに、他の兄弟姉妹は自立して家を出て行ってほしいが本音だった。自分たち夫婦の老後の生活が、跡取りにかかっているからだ。当然跡取りになる人間は、生まれた時から特別な存在としての待遇を受けて覚悟をしたと思うし他の兄弟姉妹も自覚があったと思う。
女性が結婚する年齢が早かったのも、そんな事情が一因だったと思う。
想像だが、ほとんどの女性は、両親や周りの人が勧めた縁談があれば疑問、躊躇する暇もなく、結婚したのではないか?
『相手の顔を見ないで結婚した』と言う話を聞いた事がある。



従姉のRちゃんは,私より10歳以上年上。戦後、男女共学の高等学校に編成される前の高等女学校を卒業した。
未だその頃は『優等生』と言う言葉があった。Rちゃんは親戚中で一番美人で優等生、しかも性格が良くて、年齢の離れた私でも一人前として扱ってくれたし、両親もRちゃんの人柄を高く買っていた。
戦後、一部の富裕層を除いて,食糧難と物資不足で混乱を極めていて、その上結婚適齢期の男性が少なかった。
当時の結婚相手として時代の要求と親の娘の幸せを願う気持ちを満たしてた男性だったのだろう。
Rちゃんはそんな不穏、混乱の時期、高等女学校を卒業直後,望まれて結婚した。
数年後少しずつ社会が落ち着いて来た頃、Rちゃんが離婚して帰って来た。
伯父さん、伯母さんの嘆きと悔恨の念にかられた様子は端から見て痛ましいばかりだったそうな。
娘の幸せを願った気持ちが裏目に出てしまった。
長い年数が経って、離婚の原因を聞いた。