puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(!4)



母が心配してB市のK子ちゃんの家を訪ねて行くと、K子ちゃんは憔悴しきっていて、話しかけても心配しないでと言うばかりで、何も話さないので事情もわからないいまま帰って来たらしい。
現在は、結婚を望まない女性に『結婚は一度してみたら?、 嫌だったら帰って来て良いから』とか、
『自分の娘には仕事を続けさせてやりたい、だから相手の人が優しくて家事能力が高ければ,高収入は望まない,ほどほどの収入でよい。高収入の人は冷たい、思いやりがない』とか、
相手や婚家先から『君の物は僕の物、僕の物は僕の物』の様な訳のわからない不条理を言われたり,
結納が滞りなくすんだと思ったら『弟や妹を大学に進学させたいので、働いてくれ、孫の育児、世話は自分達がする』と嫁の働きが結婚の最初から組み込まれていたり、、、と熟年の女性達が言っている。老年、熟年の女性達の経験か(?)または本音の一端が窺わえて切ない。
今でも地方によっては、結婚をして嫁になったとたん、実家への出入りを禁じたり,快く思われなかったり、実家の人間が婚家先に出入りするのを疎く思う家もあると聞く。


K子ちゃんは母に、数年に一度電話をして来て女の子、男の子が生まれた事を知らせて来た。皆、何とか落ち着いた暮らしをしていると思っていた。
K子ちゃんの子供達が小学生になった頃、突然、お姑さんから、K子ちゃんと子供達の籍を外すと連絡があった。
早い話が離婚させると言う事、子供二人はK子ちゃんが引き取る事まで決まっていた。
電話で話すよりK子ちゃんに会いたいと母がお姑さんに言えば、当方でK子ちゃんと子供達の為になる方向でやらせて貰うと言われたらしい。
母は何があったか聞かせてほしいと再度頼むと、ようやくお姑さんが余りにもK子ちゃんと子供達が可哀想で、家庭内暴力(DV)が結婚当初からあった事、K子ちゃんだけでなく子供達にまで及んでいる事がわかって,お姑さんの決断に任せた。
父母ともK子ちゃんの様子に何か感じていたが、k子ちゃんからは全く聞かされてなかった。
初めてお姑さんから聞いて事情がわかって、お姑さんを信じて任せる事にした様だった。
お姑さんから離婚を申し出るなんて、よくよくの場合で、凄まじい家庭内暴力が度が過ぎるほどあったのだろうと家中、K子ちゃんの心中察するに余りある思いだった。
K子ちゃんは、いつ頃からか外出がままにならなくなっていた。誰も歩けない理由を彼女に聞けない。


お姑さんの計らいでK子ちゃんは無事離婚できた、子供達二人を引き取る事もできた。K子ちゃんは手編みの内職をしながら、手編みと機械編みの教師の資格をとった。
聞いてないが、お姑さんが孫可愛さに何かと世話をされたと想像しているが、、、。
昭和35~50年代は,機械編み、手編みの盛んな時で、生徒さんが午前、午後、夜間と習いに来て,指導と内職で忙しかったそうだけど、子供達は立派に成人した。
子供達は親孝行で、今は長女の家族と同居して、幸せオーラいっぱい出しまくり、良かった。(実の弟、妹の二人は孤児院に入れられた時からK子ちゃんとの間は、うまくいかなくなっていた。)
K子ちゃんに真の家族が出来た、本当に良かった。