puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(!3)



私は結構使う言葉に『終わり良ければ、すべて良し』がある。辞書で引くと、結末さえ良ければ、その過程にどのような事があってもかまわないとある。確かに意味はそのとおりだ。
かっての私には『終わり』は願望、希望、脱出を意味した。
終わりがあると思えない,先が見えなかった期間、無力感、先が見えない孤独感とお金のない毎日だった、私自身に対してこの言葉を使う事が多かった。
ようやく働き始めて二つ多い時に三つ仕事を抱えて、夢中で働いた。周りの人達の事も世の中の事も眼中になかった。思えばなりもふりもなかった。
初めて働く楽しさを知ったし、何より収入は私を変えた。食事にしわ寄せは相変わらずだったが、とにかく毎日が超せたし、積もり預金、借金、老後の国民年金も払えた。
その頃から『終わり』は、私自身に使う事は、ほとんどなかったと思う。
残念な事に『すべて良し』は、なかなか、、、、つまり『過程にどのような事があってもかまわない』だけは、恐怖として残ってなかなか消えない。大袈裟かもしれないが人格を否定された生活は忘れられない。私の中では未だ時効ではない。
仕事をしていなかったら私の場合、抜け出す事も変わるチャンスもなかったと思う。
これから先の事は、わからない。少なくとも最近『終わり』は考えない。年金生活に入って家計簿を付ける様になった。決まった時に決まった額で初めて予算、倹約、節約ができる。
物価上昇,年金のマクロ経済スライドの導入になって,ますます貧乏生活のノウハウが役に立つなんて
皮肉だ。


苦労していた人が,今幸せに暮らしているのを、見たり聞いたりするのは嬉しいし、無上の喜びを感ずる。こんな時こそ『終わり良ければすべて良し』。
私の従姉のK子ちゃん、本人の体中から幸せのオーラが出ているので時効になったと思うので、、、。
K子ちゃんは戦後、子供三人で外地から引き揚げて帰って来た。父親は目の前で連れて行かれて消息不明、母親は引き揚げ寸前に病死、孤児になった。三人は他人に混ざって船で引き揚げて帰ってから父親の親戚に引き取られていた。戦後,日本中の人達は食糧難、物資不足、お金不足で,自分の子供さえ食べさせるのが難しい時期に、突然兄弟の子供三人を引き取って育てるのは、困惑どころか迷惑だったと思う。
長女K子ちゃん、次女、長男はばらばらに親戚をたらい回しの様な状態で、学校にも行かせられないと言う事で孤児院に預けられた。当時、どの家も困窮していたので、誰も責められない。
K子ちゃんだけは、中学生以上の年に達していたので,孤児院が預かる事が出来ないと言う事で祖父(私の母の父親)が引き取って我が家に連れて来た。
K子ちゃんは母の二番目の姉の子、母にとって姪だ。二番目の弟が生まれたばかりで、商売をしていたので人手が要った時だった。私が小学四年生の時で、昼ご飯を食べに帰ったら、芋パンを作っている人がK子ちゃんだった。
K子ちゃんは学校に行かなかったので,父が読み書き、算数を母が手編みと家事一切を,二人は暇さえあれば教えて居た。K子ちゃんは私が20歳過ぎて入院していた頃、突然お嫁に行った。
何でもK子ちゃんの父方の遠い親戚のおばさんが突然やって来て、k子ちゃんを自分の息子の嫁に貰いたいとK子ちゃんを口説いたらしい。
その頃k子ちゃんは、読み書き算数も、家事も出来たし、手編みは人の物を編める様になっていた。
遠い親戚と言うだけで、相手の顔も見てないのに、父や母の不安や心配よりK 子ちゃんはおばさんの言葉を信じた。きっとK子ちゃんなりに父や母に気を使って決断したのだろうと二人は不憫がっていた。


おばさんはK子ちゃんに身一つでお嫁にきて良いと言ったらしいが、父と母は自分の子供として出したそうだ。私のおらない時,一度K子ちゃんは帰ってきたそうだ。あまりの変わり様と、やつれで言葉もなかった、かわいそうで、どうもしてやれないと母は落ち込んでいた。お姑さんが説得して連れて帰られた。
話によると、結婚して連れて行かれた家に嫁入り道具しかなく、米びつに米一升(1,5Kg)が、入っていただけだった。翌朝早くお姑さんが迎えに来られて一緒に働きに行ったら干しえびの加工場だった。
エビは新鮮さが出来上がりの味を左右する、海岸の屋根の付いた吹きらしの土間にすわって小さいエビの頭、殻を剥く仕事を終日、毎日したらしい。エビは触れば触る程古くなる。エビの為に寒ければ寒い程良いなんて、出来上がりの量で収入が日払いされる。
本来の形に仕上げないと、量から外されて収入が少なくなるので慎重に剥かねばない。
真冬にK子ちゃんは流産した、働きが悪いとお姑さん、主人は機嫌が悪いし、責められる様になったらしいがK子ちゃんが何も言って来ないので様子はわからなかった。
K子ちゃんが帰って来た時、わかった事は、お姑さんは初めから中学校を在学、卒業の証明書がないの
と昔の何も出来ないK子ちゃんと思っていた様だ。


ある日、お姑さんが血相変えて我が家を訪ねて来られた。
お宅では、どういう教育をされたのか、K子ちゃんが中絶をした、、、、と言いたいだけ言ったら、
こちらが何も言う暇もなく帰られたそうだ。