puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

出会った人々(!1)



暖かくなったので中断していた断捨裏の続きをしようと、ようやく思い立ったのに、この寒さはどうだ?
4月になっても、未だストーブが要る。また、やる気をなくす。
所構わず出し放なしにしている要、不要かもわからない物の山、これを見ず一気に捨てると、どうなるかな?,やっぱり仕分けすれば良かったと思う物があるのか?もう、何ヶ月~何年使ってないがと思ったりして遅々として進まない。
もし必要の物があったら?この歳で新しい物を買う事は出来ない。将来(明日かも?,もう少し先?)老人ホームにお世話になると、運が良ければ、四畳半の広さに住む事になって最低限度の持ち込みになる。そろそろストレスになりつつある、やはり見ずに捨てるべき?、、、、。



私達世代が若かった時と比べて今の若い人達の、情報の量、手段ははるかに多く想像をこえる。
私達世代は住んでいる地域の中で、三世代、四世代同居の大家族、親類縁者、周りの老若男女、、,等からの、知恵や経験と伝承で情報を得たし、実際に見聞もした事もあったと思う。しかし今とは規模が全くちがう。
最近思う、当然心得ているであろうと思える事、経験、耳学問等の情報が、私には欠けている理由がわかった。
如実に現れた一つが、年金の事だ。
後一週間で、初めてマクロ経済スライドが導入される年金支給日だ。
私達世代は、年金を満額支給の人が多い。 満額に満たない支給の人(私も)も多い。40年間,完全に払った人と、払った月数が40年間満たない人の差だ。 老人になると、この差はきつい。
昭和36年=1961年4月、国民年金制度がスタートした。私の場合よほど関心がなかったのか、忘れたのか? 当時国民年金制度の内容をよく知っていなかったと思う。ずう~と後になって知った。
国民年金の加入当時、自分が老人になる事を、老人の暮らしを想像出来ただろうか?。
若い事自体が自由で希望、活力があった。選ばなければ仕事があった。知人、友達もいた。
生命保険、月賦も申請すれば可能であった、努力すれば不可能な事も可能になると信じていた,、等。
私は若いだけだった。
私は、大家族で暮らした経験が殆どない。祖父達からの経験、伝承は、皆無だ。地域に根をはった暮らしもしてこなかった。
だから老人になるのに覚悟が要るなんて、知らなかった。
老人になったと思う時は、自分が歳をとると病気が怖い、病んで鏡を見るともっと怖い。仕事に年齢制限がある。価格の大小に関わらず一括払いで請求される。カードが選ばれなくなった。難しくなった。
保証人を求められる機会が多くなった。自分を含めて知人、友人も何かしらの身体が不自由になって、お互いに同じ話を繰り返す。
免許証の更新に認知症の検査がある、物や人に対するこだわり方が尋常ではなくなった、、、等。
若い時に国民年金の話を聞いたとしても、こんな初歩的な想像が出来なかったのだろう。
完全な情報不足だったし、いろんな老人達の暮らしの経験を、聞いたり見てない事も重なったと思う。


経験と言えば人との出会いにもある。私達世代は、まだお見合いで結婚する人が多かった。
たまには,仲人口と言って仲人さんが縁談をまとめたいばかりに、事実以上に結婚相手の事を良く取りなす人も居たかもしれない。『仲人口』と言う言葉もあるくらいだ。
だけど普通は良縁をまとめる実績と手腕を認められて頼まれる仲人さんが多かったと思う。
先ず、仲人さんは、両家の釣り合いを重視する。安心な事は、双方の両親、兄弟姉妹、祖父母、、,の人柄について熟知している事である。
信望厚い仲人さんは、生涯負わねばならない責任を感じる様で,当事者同士の相性や人柄に付いての情報を経験とコミニュケーション力で集める。
普通の人は、まねができない。