puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

『足湯』と雑感(5)


『足湯』には、私のように一人で来る人が多いが、連れ合って来る人達も多い。
昨日はお昼すぎ私だけ、試験中だろうか高校生のカップルが来る。
着ているセーラー服はこの辺りで見かけないが、何か食べながら来た様だ。
とりあえず『こんにちは』と挨拶すると『こんにちは』と男子生徒が返してきた。
地元では幼い子供から大人まで「足湯』で会えば、挨拶をする。
何せ狭い場所なので、お互い気まずい思いや、居心地が悪い思いをしなくてすむので。
彼女が食べ終わるまで、男子生徒は湯加減みたり、タオルを出したり席を拭いたりしていた。
彼女が足を湯に浸けるやいなや『熱い、あつい』の大騒ぎ。
『初め熱いけど、そのうちちょうど良くなるから』彼は心配そうになだめている。
しばらくして彼女が『気持ち良いねえ~』と言ったら彼は嬉しそうに笑顔で応じていた。 やれやれ、彼の心配と緊張が解けたのが伝わってきて、ほっとする。


年を重ねて、この頃ようやく実感して理解出来る事が数々ある。 数々の中の一つが、男性、女性を問わず年を重ねると性格、気質の長所、短所が顕著になってくる  様に思う。
あくまで私の独断と偏見なので、ほんの一部(私自身を含めて)の人達の事だと、、、。
生来もっている優しさ、陽気さ、明るさ、柔軟な考え方、、、等の長所と、生来持っている酷さ、  陰険さ、嫉妬深さ、、、等の短所。
極端な例は優しい人はますます優しく柔和になり、頑固な人はますます強情に頑固になってくるの  がそうだ。
 将来 いずれの長所、短所が噴出するのか、考えると長所なら良いが逆だったりして、、、、。
男性、女性も現役で社会に深く関わっていた年代は若いので、恥、体裁、立場上で自分を律すると  言うか、自分の気持ちや感情を抑制する事が出来る。
でも残念な事に若い時に誰もが持ち合わせていた感情や性格が、年を重ねる毎に社会との関わりや
繋がりが薄くなって同時進行で鈍くなるか、激しくなるのも、空気がよめなくなるのも事実だ。
  

  
昔、『隠居』と言う言葉があったが、現代でも十分通じると思うが、どうだろう。
『隠居』のイメージとして『現役を引退して穏やかに、出しゃばらない事をモットーに暮らしをして
いる老人』がある。
昨今『隠居』と言う言葉自体使う事がないし、聞かないねえ~。良い言葉と思うが。

  
最近は高齢化がすすんで、一般に現役を長く続けた方が良いと言われる。
(年金の話は複雑、多様で自分の場合しかわからないので、省く)
健康維持に食事に気をつけて、趣味を持って社会に関わって過ごすのが大事と紙上でも結構見る。
この期に及んでようやく理解できた事は、社会に関わったり、ボランティアする事で、自己管理、
抑止力が維持出来るんじゃないか?
だとすると、周りの人達も自身も穏やかに幸せだもの。


『足湯に』浸かりながら、自分は一人世界で何の活動もしないし、遠慮する必要がないので
年を重ねる毎に、ずうずうしく厚かましくなってきた自覚がある。
自分自身がこれから先、どんな人間になるのかと思う時がある。
独り善がりが多いので、頑固で、ますますこだわり方が強くなるだろう。
不本意ながら身近な人たちを困らせるのだろう。申し訳ないなあ~。                                    
  
足湯』は自動車が一台ギリギリ通れる道幅を半分にして造ってある。
半分が『足湯』で、残りの半分が歩道だ。
『足湯』に浸かりながら、見るつもりがなくとも通行人を見てしまう。 
往来だから通行人の老若男女、住民、旅行者などが、当たり前に、または不思議そうに『足湯」
に浸かっている私達を見ている。お互い見合う。
どうしても同世代の旅行中のご夫婦に目がいく。