puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

主よ御許に近かずかん(6)


20年は経っていないと思うが、本人から「葬儀にはこの写真を使ってくれ」と頼まれて、ず~と文書 箱にいれたままの写真を前夜式に持って行く。
全員『いい写真だね』と言ったが、特に兄や妹の喜び様は半端ではなっかった。
A4サイズの半分の大きさの写真だったので、普通は拡大、コピーして「遺影」として使う。
これから先、手元に置く事を考えると拡大、コピーした写真は不要ではないかと意見もあって、拡大、コピーはせず急遽 額縁を買って「遺影」として使った。


生き物、つまり人間を含む動物、植物は個体それぞれ生まれて死ぬまでの時間、期間は違うけれど 、その間に一回か、運が良ければ何回か輝く瞬間~(うまく言葉で表現出来ないのが残念)があると、 思う。
人間に限ると気力、体力が充実している時かな? 案外、自分では気付かないのかも?
以前知り合いの老婦人が亡くなって、「遺影」に集合写真を引き延ばして使ってあった。
いつも笑顔のきれいな人なのに、淋しそうで暗くこんな表情は見た事がなかった。惜しい事だ。

 
「遺影」は、亡くなった人の人生の一部ではないかと。
家族や近親者の記憶に残るので、亡くなった人の人柄や長所が出ていてほしいと願う。
この度「遺影」に使った写真は亡くなった本人のリクエストだった、20年近く前の物だったが不自然でなかった。
そして時間が経つにつれて、「遺影」とは違う亡くなる最近の風体を思い出しにくくなった。
  

私は気付くのに遅過ぎた。カメラのCMに「美しい人は美しく、そうでない人もそれなりに」とあったが本当にそうだった。  
今よりず~と前は、美しくはなかったが若さがあった。髪も黒かったし、ヴォリュームもあった。
活力も、ささやかな希望もあった。少なくとも今よりまし。
とにかく写真を撮るのも撮られるのも嫌いだった。完全に遅すぎた。
仕方が無いので自分らしい1枚を 用意しないとまずいかな、、、、。
3~5年おきでも写真は撮っとくべき。勝負写真に決まる迄、何回も撮り直したって良いと思う。
老婆心ながら、自分の知らないところで、納得の出来ない、本意でない写真を使われない為に。