テレビ小説『花子とアン』(3)
またも話は前後するが、相変わらず勉強の方法がわからず、英語の教科書をひたすら丸暗記。
発音記号が読める様になってからは、声を出して読んでは書くの繰り返しだ。
中間テスト、学期末テストの英語の形式は、英語のテストを受けている間に、3人の英語教師が、
次々に教室に来て、スピーキング、 ヒヤアリング、 デ”クテーションの小テストがあった。
中2~3年の英語担当は、発音記号を習った男先生だった。
厳しく怖いのとで、膝がガクガク、、、目はウルウル、、、の授業だったが、英語が好きで好きで
楽しかった。
その頃英語で歌われた『 The Tennessee Waltz 』と『Come on my house』のレーコドを かけながら、よく合わせて歌っていた。
そのレコードがどうして家にあったのか?
私は、弟が亡くなった時、余りの親の悲嘆を見て、親に心配をかけない事を自分に誓っていた。
もともと物を欲しがってねだる、頼む様な事はなかったので、不思議だ。
二つの英語の歌が流行っているのをどうして知っていたのかな?
私は直接習ってないが、もう一人英語の地元大出身の30歳前だと思われる男先生の話される
単語のやたら長く延ばす(癖?)とカタカナ風の発音がおかしく思えたのだ。
今、思えば私は生意気で傲慢だった。
私の気持ちは津田塾大出身の女先生のようになりたい、それだけだった。
津田塾大に進学するにはどうしたらよいか、考えるようになった。その一点で高等学校を決めた。
父母も先生にも決めた理由は話してなかった。
入学試験と仮入学は、母と泊まりがけで行った。母は先生方が、生徒に敬語で話されると驚いたり
感心したりしていた。
しかし、またも入学式に父と出席することになって、私はがっかり泣きたい気持ち、、、。