puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

テレビ小説『花子とアン』(1)

私は普段、朝5時前に起きる。 朝ドラの時間帯は、食事がすんでウツラ、ウツラ船を漕いでいる状態なので、朝と昼の放送を合わせて一回分だ。だから途中空く事もある。
今回は『花子とアン』の主人公花子が父親に連れられて東京の学校に行った場面から以後ドラマの展 開に毎回釘付けだ。
  

 
主人公花子の気持ち、行動を見ながら、60数年前の自分を思い出す。
花子と私は年齢、生活、環境、社会情勢も勿論違う、一番違う点は花子は父親に勧められて学校に行 った事、私は自ら決心して高等学校を選んで行った事だ。
高等学校の受験について担任の先生が随分心配をして『募集人員  若干名』である事、地元の高等 学校が近くにあるのに、遠く離れてわざわざ寄宿舎生活を何故しなければいけないのか?、、 等。
先生は数年前迄『日立製作所』に勤めていて都会の私立学校について事情を知ってらして、考え直す ように説得されたが『若干名』の漢字の読み方も意味もわからないで、そのまま受験した。
父母とも相変わらず受験する事についても、遠くの学校についても何も言わなかった。
花子と私の共通点は学校が英語教育に熱心なミッションスクールだった事と、花子は当然だが、 私 は担任の先生が心配された様に学校の教育方針や実態をあまりにも知らなさ過ぎた事だ。



私は小学校入学して成人する迄、両親から勉強について何も言われた事がなかった。
不思議な事に父は入学式、卒業式、学校行事等に出て来て、私はとても困惑させられた。
当時父兄会等他の父親が来る事はまずなかったから。
母も母方の祖母も小学校の教師だった時期があるにも関わらず全く私の勉強をみる事はなかった。
テストや通知表についても然り。(母は私を生んでから教員の資格を取る為に学校へ行った人)
私の小学校時代は家で勉強した記憶がない、ただ学校には行かなくてはいけないと思っていたが、、 、、、、。


昭和27年中学校に入学。
中学校入学式の翌日、朝登校したら、昇降口に皆が騒いで集まっているので何事かと近ずいた
壁に3年生の実力テストの成績1番から100番までの氏名が張り出されているではないか?!、、、 、、、。
『肝を潰す』とはこの事、一瞬で小学校時代の生活と完全に縁が切れた。