小学校時代の放課後(4)
小学4年生になる前後(時期は定かでない)、店舗兼住宅に移った。
母は、徐々に体力をつけて店に出る様になったので、私の手伝いの量は格段にふえた。
学校から帰って、遊びに行く前に
1 家の入り口から奥のかまどや調理台(古い机)がある土間まで掃く。
2 風呂の準備、五右衛門風呂に手押しポンプで『ガチャン、ガチャン、、、』水を入れておく。
小木と柴(枯れた雑木)があることを確認する。
早く遊びに行きたくて確認を忘れるとそんな時に限って小木や柴がなくて、直前になって斧で細く
割らねばならない。
斧が使いつらく、私は火をおこすのも下手で全ての作業の段取りが遅くなる。
父が風呂に入るまでに沸かしておくのが決まりなのだ。
3 台所と洗い場の大きな水瓶に常時みずを満杯にしておく。
4 自分の肌着や脱衣籠にある物もついでに洗濯して干す。ハンカチをガラス戸のガラスにぴったり貼 付ける。こうすると、ハンカチはしわのないきれいな状態で乾く。
夕方、遊んで帰ってきたら
5 すぐ風呂を熱めに沸かす。
6 風呂が沸いたら、『けし壷』に『消し炭』を作っておく。
火種をとって、七輪に炭をおこしす。
7 夏は、焼き茄子をほとんど毎日作った。野菜を洗う事、切ったり刻んだり皮を剥いたりもした。
8 七輪に大きなやかんをかけ、すぐ母が調理できる状態にしておく。
9 父が風呂に入って、上がるまで私は待機している。
『 熱い』と言えばポンプを押して『ガチャンガチャン、、、』水を汲む。
『ぬるい』と言われれば追い炊きをする。
五右衛門風呂は入浴するときは誰かが待機する。
冬の五右衛門風呂は最低だ、 外での待機は寒い。
特に最後の入浴者は湯は少ないし、追い炊きしてくれる人がいなかったら泣きそうになる位寒い。 最後は母か、大所帯は嫁か小間使いだった。
はあ~大変だった。
10 朝起きるとすぐ、味噌汁の出しをとる為に鰹節を削るのも私の仕事だ。
眠いのと、やる気がないのとで、毎度上手に出来ない。
木の年輪のように縞があって削る方向があるらしいが、私の削ったのは角のついた粒ばかり。
朝忙しいのと、鰹節の削った状態がそんなんで、父は私がいつまでも削るこつを覚えないので、 イ ライラ怒るし、私もわからないままに叱られてお互い余り良い一日の始まりではなかった。