puffpuff0001 年金生活者のブログ 雨のち晴れときどき竜巻

年金生活その他についての考察あれこれ

小学校時代の放課後(!)

小学校1年生の時、母は肋膜炎が再発して赤十字病院に入院、(母は当時23歳位、女学校を卒業してすぐ結婚しているので、思えばずいぶん若い。)
おそらく父が仕事の前に食事の支度に行っていたのだろう。
夕食は私が病院に行ってつくる、お粥だけ、おかず無し。
外庭で七輪に火を起こしてお粥を炊くのだが、私はそれ迄マッチを使った事がなかった。
マッチに馴れないのと、マッチが粗悪品で、時に湿っていたりしていて、なかなか火が付かない。 
何度も失敗すると、マッチが無くなる時もあった。うまく火がついて少しの新聞紙に火が燃え移って
父が用意してくれた割いた木に燃え移れば、炭を起こせるのだ。
マッチが無くなった時と 木に火が燃え移る前に新聞紙が燃え尽きた時(新聞紙は貴重品、追加無し)
悲しくて泣いてしまう。


母からお粥が上手に出来た時も出来ない時も『暗くなるから、気をつけて早くお帰り。来てくれて、
ありがとうね。』と言われて自宅に帰る。
うまくお粥が出来た時は、とても嬉しい。出来ない時は、街灯がないので暗く怖いのと、母がお粥を食べられないのを思って泣きながら走って帰る。
そのうち母は退院して、家で寝ていた。


3月12日 朝ドラの『ごちそうさん』を見ていたら、主人公のめ以子が闇市で子供達から食べ物をを買うシーンがあった。
め以子が入れ物の蓋を開けかけた時の表情をみてピーンときた。


その食べ物は『かえる』だと。違うかな?
母がようやくブラブラ出来る位回復した頃、お隣から当時珍しい『天ぷら』を家族が食べきれない程、頂いた。
昭和21年最高に食料が不足していた時の話で『白身の魚だが、 相当大きな魚だね、何と言う魚だろう か、、、』等言いながら皆喜んで食べた。
後日、母が御礼を言ったら、前の田んぼの深い溝で毎晩『ボオーン、ボオーン』と鳴いていた『かえる』の『天ぷら』だった。   
お隣のお爺さんが、いつも溝を覗いていたのを知っていたので、誰もが納得した。
め以子は『かえる』を照り焼きにしていた様だが、あの食べ方は美味しかろう。